2017年07月 墓参

 両親が旅立ってから丸4年が経過する。

元々、父は、富山県富山市の出身で、本家の菩提寺の墓地に一区画を購入していた。我々子供が、「田舎の富山を忘れないように。年に一度くらいは、富山に墓参り行くように。」との思いを込めているという。

しかし親子の会話としては、当時、「片道6時間近くかかる富山まで、家族を連れて、富山まで行くことは簡単ではない。」と強く反発し、富山の墓地は手放し、東京の自宅の近くに新たに買い求めた。母が、骨折を機に、車いすに頼るようになり、介護施設に入ると、父の思いは、母が先に・・・。との心配から、墓石の手配を急いだ。平成25年3月、父が待ち望んでいた母の特別養護老人ホームへの入居が叶い、終の棲家を得た。と一安心。父は、初ひ孫の雛祭りを祝い、3月26日に86歳の誕生日を迎えた。前夜まで全くいつも通り元気であった父は、4月1日朝、脳梗塞で、救急搬送。4日に旅立つこととなった。ばたばたする中、墓石屋さんから、墓石に彫る家紋の確認の連絡。父の選んでいたものは、見慣れたものではなく、本家に確認すると間違えが発覚し、急きょ修正。父の納骨までにぎりぎり間に合った。そして4か月後の8月に母が旅立った。まるで、すべてを準備したように、墓が用意され、収まることになった。

 墓地は、家から歩いて7-8分のところ。この4年間、特段の用事がない限りは、毎週花を替え、お線香をあげに通っている。自宅から近いゆえにできることであるが、子供たちは、車で一時間ほどのところに住んではいるが、正月とお盆くらいしか墓参りに来ない。私が行かなくなったら、誰がお墓に参り、お花&線香をあげに行くのか? 墓地に行けば、草がぼうぼうに生えて、何年も放ったからしにされたであろうお墓をよく見かける。所詮、お墓とはそんなものであるのだろうか?両親が旅立った後、墓に向かって手を合わせてふっと考えたことは、「次は自分の番。」ということ。しかし、「これほど子供たちが墓参りに来ないのであれば、私の代で手終いにして、遺骨は、相模湾にでも散骨してしまおうか。」と真剣に考える昨今である。

しばらく富山へ出向くことも、親戚の不幸があった時くらいで、親戚に会っても、本家&祖父母の墓にお参りすることはなかった。(本家には、仏壇があるので、必ずお線香は上げたが・・・)

 お墓とは何であろうか? 祖先があって、現在の自分がこの世に生まれた訳である。目の前の、日々の生活に追われて、過去を振り返る余裕がないのも事実であろう。現在自分が生きているという祖先への感謝の気持ちは、心の中で持っていれば、仏壇&お墓に手を合わせなくてもいいではないか。とも思う。

お墓をなくしてしまう。それぞれの心にあれば、それでもいい。しかし、法事&墓参りを理由に、家族が集まる。という慣習は、田舎にしか根付かないものなのであろうか? 「墓参りにでも行こうか!」という理由で、兄弟&親戚が集まりやすい口実になることも間違えない。まあ墓参りではなく、食事会だけでも十分かもしれないが・・・。

 結婚して、子供の将来を考えて、家庭生活が回ってきた。子供が成長し、結婚。それぞれ家庭を持ち、孫もでき、顔を合わせる。しかしそんな機会も少なくなってゆくといういずれ訪れる現実。これを受け止めて、自分の人生を考えていかなければならいない年齢になったのかな?とも感じる。いずれ通る道とはいえ、寂しさは、ぬぐえない。

 みなさんは、祖先、祖父母、ご両親のお墓へは、どんな頻度でお出かけになりますか?

遠く離れた親戚&兄弟とは、どれくらいの頻度で連絡を取りますか? これからますます疎遠になってゆくであろう親戚関係。身近な友人関係の方が、余程、身近で安心できるものになってゆくのであろうか?

 お盆を前に、こんなことを改めて考えてみました。

お墓参りを理由に、日頃コミュニケーションの少ないご親戚、ご両親&ご兄弟に、会いに行かれてはいかがでしょうか? お墓に入ってしまうと、もっと行かなくなってしまいますよ。

平成29年7月吉日
悟空の里主人 金森 悟

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