2017年01月 ダウンサイジング&断捨離
年末年始は、家の中の片づけに追われた。両親が旅立ち3年、娘が嫁いで5年、息子が就職し、4年前に新潟へ。(その後、新潟から戻ったが、埼玉に住んでいる。)MAX6人で住んでいた家は、雨戸を明けに踏み入るくらいで、全く使わない部屋がいくつも・・・。多くの家族の声が行き交っていた空間も今は寂しい限りである。将来にかけて、家族が増える予定もなく・・・。いずれにしても、部屋をきれいにしないと、次のステップもないと、思い新たに、片づけを始めた。両親が亡くなった後、何から手をつけようかと。
- 衣類など:海外の貧困国への援助の一環として、大きな段ボールを10個ほど購入(支援)して、靴、カバンなどを送った。
- 書籍など:とにかく父は、大量の書籍を所蔵していた。短歌関係、園芸関係、山岳関係、仏像などの写真集、生まれた富山の郷土に関する資料などなど、1,000冊以上はあったのではないだろうか?
まずは、東日本大震災の被災地のひとつ岩手県の「大槌町」の図書館が津波で流され、避難生活を続けている方々のために書籍を必要としているとのことで、文庫本&子供の本を中心に、段ボール7箱ほどを送った。数軒の古本屋さんに来てもらい、買い取りいただき、美味しいランチを食べることができた。
- その他大物など: 庭や物置にあった棚などの大きなものは、廃品業者を呼んで、廃棄処分を依頼したトラック一台分のもの。処分費用として、なんとン十万かかった。それでも、全く減った感じもなく、足の踏み場がかえって狭くなった感も・・・。(そして、残りのものを全部処分したら、何百万かかるのであろうか??と考えたとたん、片づける意欲が消えてしまった・・・。)
それから3年、休みの時間を使って少しずつでもきれいにと、段ボールを開け、仕分けするだけで終わってしまい、また積みなおしたままに・・・。効率悪いとわかっていても、資料を確認しながら、シュレッダーにかけていると袋詰めの山ができるが大きな変化はない・・・。いやいやこの繰り返しなのだろうか??
本屋で、親の他界で誰も住まなくなった実家の遺品整理のハウツー本や、遺品処理業者のノウハウ本のコーナーを見つけた。遺品処理業者から複数の職員が来て、どうしても残したいものに始まり、いくつかのグループに分け、どんどん捨ててゆく作業を進める。買い取りができるものがあれば換金してもらえるし、当初予想した「数百万円かかるのでは??」という懸念も消し去ることができる期待も・・・。
両親が残したもの、巣立った子供たちが残したもの、それに加えて、自分自身の小学校時代などの図工作品&プリントなどなど。開かずの押し入れに数十年間開けたこともないダンボー箱が、ぎっしりと並んでいる。開けてみれば、懐かしさに浸り、作業は進まないであろう。しかし、残されれば、次の段階で、残された者たちが、私と同じ苦労をすると思うと、自分の責任で処分するのが必須と考える。母が、元気な頃、太極拳教室へ通っていた。先生が出るテレビ番組、その他の興味ある番組を録画し、タンスにぎっしりと貯め込んでいた。「いつみるのか??」と聞くと、「時間ができたら。老後の楽しみに。」と、当時60歳代後半であった。老後はいつ??その後、足を骨折し、車いす生活となり、病院&介護施設に入り、結果、二度と見ることなく旅立った。「その時に見られないものは、再び見ることはないのであろう。」という教訓を学んだ気がした。また自分でも多くのボランティアをしてきているが、その打ち合わせ資料の山は、未だに積まれたままで、二度と見ることはない。配布された会議資料などは、会議が終わったら、よほどのものではない限り、さっさと処分していく。とい習慣も必要と強く思う。資料をもらうと、話を聞いたつもり、理解したつもりとなるが、覚えていないことは、自分にとって興味のないものか、自分の能力的に覚えられるような内容ではない。と割り切ることも大事かと思う。
減らす努力と同時に、増やさない努力を心掛けることも重要ではないであろうか?
松の内も明けて、スッキリしたスペースで、新しい年を邁進したいものである。みなさんも減らす努力と同時に、増やさない努力も心がけましょう!!
平成29年1月吉日
悟空の里主人 金森 悟
●2016年12月 師走
●2016年11月 北海道開拓使
●2016年10月 少子高齢化のゆくえ
●2016年09月 都内観光
●2016年08月 携帯アプリ
●2016年07月 おふくろの味
●2016年06月 青少年育成