2017年04月 卒業40周年

 卒業した高校の卒業式に、「卒業40周年」で招待された。
昭和52年(1977年)に卒業証書を受け取った体育館で、約30名の同期が集った。卒業生は約250名。加えて父兄&教職員が並ぶ。私は、同窓会のお手伝いをしていた関係で、同期代表として、壇上で、「卒業40周年証明書」を現役の校長からいただいた。(段取り悪く、我々から学校側に寄付する目録を渡してしまい、やり直す場面も・・・)学校の最寄駅から校門まで。校門を入り、体育館、校舎。昔とすっかり変わってしまった建物、全く変わらない風景などを噛みしめながら校門をくぐって感動していた者もいた。(私は同窓会の仕事で、ここ10年くらい、たまに訪れていたので、今回は案内役で。)

 高校生時代といえば、たった3年の期間である。しかし振り返ると、人生の中でも、とても濃い3年間であったと気付く。高校から大学へは繋がっていたので、受験もなく、3年間をフルに謳歌できたおかげなのであろうか? 同期は、大学では、学部、クラスが違うとはいえほぼ同じ大学へ進むので、トータルで7年の付き合いである。かれこれ20年近く前からであろうか、年に数回、数名だけで同期会を開き、旧交を温めていた。それぞれの分野で活躍しており、近況を聞くのが楽しみであった。今回の「卒業40周年招待」に先立ち、一人でも大勢の参加者を募りたくて、学校側から同期名簿を事前に入手した。250名いた同期の中、9名が逝去。約80名が、通信先不明。しかし、不明の中には、我々が良く会っている仲間もいた。また年賀状などでやりとりがある、サッカー部など部活動単位で連絡を取り合っているなど、調べる範囲を広げた。学校側から正式な招待状を送付する際には、かなりの通信先解明ができた。まだまだ分からないメンバーもいるが、これからも解明してゆきたい。

 卒業式は平日の昼間であった故、地方在住、仕事などの関係で、出席できなかった者も大勢いた。卒業式後は、部屋を移して、引退された先生も同席いただき懇親でさらに盛り上がった。懇親会は午後2時ころには終了し、改めて、校庭、校舎を再度見学。その後、夜の部を設けた場所へ移動。しかし、4時半過ぎに着いてしまった。仕事帰りの者は、集合は6時頃に。卒業式&懇親会のみで帰った者、そのまま引き続き移動、または一度会社に帰って再登場の者、仕事が終わって駆けつける者と、この日を目指して、40年ぶりの再会が!最後に登場したのは、医学部で活躍している者で、夜9時半頃に登場。夕方からだらだらと、お邪魔していたお店もそろそろ閉店で、飲み足りないメンバーの意向で、場所を移し、0時過ぎまで。まだ物足りなさそうであったが、再会を約して解散。長くて、楽しい一日であった。

 改めて振り返ってみて、先に述べた高校生活3年間の人生における濃さである。中学3年間、大学4年間と比較してみると、中学の時の友人とのお付き合いは、卒業後、あまり深く続いているものはない。大学は、毎日のように練習に励んだクラブ活動が一番濃く、次にクラスの仲間。年齢的に感受性も高く、世間知らずな行動が普通の高校生時代。その頃の体験&影響は、現在にも受け継がれているに違いない。たまに会う仲間は、毎回同じことを繰り返す話題がある。高校時代付き合っていた女性の近況と当時の話。タバコで見つかって処分を受けた原因は、誰々が裏切ったから・・・。今だから暴露される話題など。非常に盛りだくさんで、毎回腹をかけて転げまわるくらいの騒ぎようである。ホテルのバーで、注意を受けたこともあるくらい。いい大人が騒ぐほど、一瞬で童心に帰るひと時である。一方で、話題の中には、「あいつは絶対に許せねえ!」と40年間絶交中、学生時代には、一緒に悪いことをしていた仲間が、社会に出て、色々あって、「絶対に口きかねえ!!」という話題も。A氏が来るならば、B氏は呼ばないほうがいいなど、難しい。

 自分にしては、こんな高校生活が、今でも続いていることが大きな財産である。みなさんは、高校時代にどんな思い出をお持ちですか?社会的な地位も何も関係の無い、高校時代の純粋な心で向き合える、ぶつかり合える仲間であること。これからもずっと大切に守ってゆきたいと思う。たまには集まりましょうよ~!!

平成29年4月吉日
悟空の里主人 金森 悟

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