2009年09月 自分のポジション

 先日、ある学会に出席した。開会し、発表が続き、質疑応答、閉会まで限られた時間の中、会合が進む。よくあるが、運営側が、時間通りの進行に苦労するケースが多い。各講師の先生には、予め決められた時間があり、事前に発表する内容を考えていただく。素人的には、日頃話し慣れている人にとって、得意なものであると思っていたが・・・。今回、ある先生が、決められた時間内に終わることができず、肝心な内容に入る前に時間切れとなり、あとの総合討論で、残りの部分の発表をしていただくことに・・・。せっかく素晴らしい内容であっても、ある一定の時間を過ぎると、聞いている側としても、時間ばかり気になり、内容はどうでもよくなってしまう。と感じるのは、私だけであろうか?今回、四名の講演者の中、時間通り発表できたのは、人生経験のある大人ではなく中学生であった。また今回は無かったが、質疑応答の中、質問者が、自分の意見をとうとうの述べ、質問がなんだか分からなくなることも良く見られる。司会が、「ご質問は、何ですか?ご意見ではなく、ご質問をお願いします。」と注意しているにもかかわらず、持論を披露し続けることもある。

 大勢が集まる場がある。その中で、ひとつのテーマ&目的で物事が進み、参加者は、その進行に協力しながら、自分に与えられたパートにベストを尽くすことが大切なのではないだろうか?自分の力が認められて、舞台を準備していただけるのであるが、ベストを尽くそうと力が入るばかりに、足元を失って、協調することが分からなくなってしまうのであろうか・・・。

 人前で話をすること。私にとっては、逃げてしまいたいくらい最も苦手とするところである。早く終わらせたいと思うか、何を話しているか分からなくなる。人前で話をすることの難しさは、自分でも十分に感じている。(食事をしながら、飲みながら話すのは、とっても好きであるが!!)しかし、独演会以外は、あくまでも自分は一部であることを忘れてはいけない。

 さて、今まで触れてきたことは、社会の中で、組織の中で生きていく上で、共通して気をつけなくてはいけないポイントでは無いであろうか? ただ、大きな環境の中、自分の個性を殺してまで、従順になりなさいということではない。「出る杭は打たれるけれど、出すぎた杭は、もっと伸ばせ!」といわれるように、個性や自分の考えを殺してのめりこむのではなく、それを生かして、チャンスをどんどんつかんで伸びていってもらいたいのが本音である。言うのは簡単であるが、実際、集団行動するとなると、その環境で大きく左右&制限されるのが現実であろう。仮に組織の中で実行できなければ、プライベートな時間で自分を表現するなど、チャンスは作れないであろうか?また、実際の行動ができなくても、読書や映画鑑賞で、仮想体験を通した精神的満足も活用できるのではないだろうか?

 人生の中、どんなことがあって自分のポジションを失わず、意見をしっかり持って生きてゆきたいものです。社会、組織の中に存在していることは、必ず意味がある。しかし、自分のポジションを失うと、急に不安になって逃避することもあろう。自分の考えを抱え込むのではなく、日記を書く、ブログに書き込む、友人らと語り合う!など、そんな機会を年に数回、作ってみてはいかがでしょうか? 表に出すこと、他人の意見を聞くこと!とっても楽しいですよ!!

平成219月吉日
悟空の里主人 金森 悟

●2009年8月 重粒子線治療 ●2009年7月 土いじり
●2009年6月 端を知る ●2009年5月 次への力
●2009年4月 引き合わせ ●2009年3月 奇跡の出会い