2009年03月 奇跡の出会い

女友達E子さん(享年50歳)の訃報が届いた。ご本人の心の準備もできていない突然の出来事であったとか・・・。残念の一言である!彼女とは、学生時代からの約30年のお付き合い。結婚されてからも、年賀状では、ご家族の写真をいただき、今年もメッセージを・・・。最近は、ちょっとご無沙汰。同時に、ご親戚の方、テニスを通じた共通の友達ともここ数年お目にかかっていなかった。昨年と今年、ある用件で電話をしようかな?と何度か顔が浮かんだことがあったが・・・。残念ながら、数年ぶりの再会は、遺影との再会となってしまう。

 ここ数年、訃報といえば、大先輩、恩師など、70歳から80歳のお世話になった方々とのお別れであった。仕事柄、生活習慣・医療の発達・社会の安全の視点からも、「人間はそんなに簡単には死なない。」という意識がある。私が仕事をしている国内生保の個人契約の死亡率は、ご契約件数ベースで1.4%台。これを多いと見るか少ないと見るか? テニス仲間が集まると、お亡くなりになった方のお元気なときのプレーなどが話題となる。ある仲間は、歩き方・フォームなどを真似たりと、大いに盛り上がり故人を偲ぶ。故人は、いつも仲間の心の輪の中に存在していると感じる。

 人生、多くの出会いがある。それは、生まれて親との出会いに始まり、幼馴染、その後の人生の日々のシーンの登場人物とのご縁である。そのご縁も、すれ違いであったり、50年のお付き合いであったり・・・。昨年末、約900枚の年賀状を出した。中には、約40年、年賀状だけで続いている幼馴染もいる。長く会っていなくても、一度会えば、タイムマシンで昔に戻ったように打ち解け、忘れていた記憶も瞬時によみがえる。なんと素晴らしいことか!!

 出会いがあれば、別れがあるという。色々な別れがあるのだろう。海外に出てしまった方、国内でも地方にいかれた方、音信不通の方、他界された方・・・。しかし、話題になれば、その方の顔が浮かび、声まで聞こえてくるような記憶が、脳にインプットされている。7年前、金沢へ出かけた後、祖母の顔を見に田舎の富山に立ち寄った。数時間の再会であったが、別れ際に「ありがとう! ありがとう!!」と小さな手で握手してくれた。タクシーに乗り、見えなくなるまで手を振った。それが最後となり、91歳の生涯を閉じた。また、旅館経営をされていた仲人の方。宴会場を新築され、館内をご案内いただいた。「この場所が、一番落ち着く場所なんだよ!」と、月明かりの夜、こっそりと穴場で語り合った。どちらも、その時の光景、表情、声のトーン、言葉の記憶は、しっかりと記憶に刻まれている。この世であろうとあの世であろうと、遠く離れていても、今でも心でつながっていると信じている。

 この地球上には、67億人の人が暮らす。精子と卵子が出会い受精する可能性も1億分の1くらいであるとか。自分の人生で、ひとりの人間と出会い、言葉を交わすことだけでも奇跡に近い。この世に生まれた奇跡とこの世で出会った奇跡を、一瞬でも、ひとりでも大切にしたいと思うのは、私だけであろうか?? 歳を重ねるにつれ、出会いと別れが続くのであろう。目の前の今だけを生きようとするとき、今までのご縁は、もう過去のことで、消え去ってしまうのであろうか? 私は、そうは思わない。一瞬の出会いでも、どこか今の自分の一部分を作ってくれたと思う。その記憶は、自分からお別れをするまで自分に刻まれ続け、人の心に受け継がれてゆくのであろう。

最後に、E子さん、あなたとの出会い、紹介いただいたご縁は、大切にしていきますね!合掌

平成21年3月吉日
悟空の里主人 金森 悟

2009年2月 正しいものの見方とは? ●2009.1 気づいていない自分を探して!
●2008.12 会いに赴く ●2008.11 元号・慶應
●2008.10 実態の認識を! ●2008.9 一期一会