2008年11月 元号・慶應

 歴史に関しては、苦手意識を持っている私であるが、NHKの大河ドラマ「篤姫」に興味を持ち、大政奉還、明治維新への激動の時期にたいへんに興味を持った。もちろん『宮﨑あおい』ちゃんの影響が無いとは言えないが・・・。

 さて、苦手ながらも調べてみると、この時代「慶應」は、「元治」に続いて、1865年から1867年まで。その後、元号は「明治」に変わる。そして明治から一世一元に。この時代の天皇は、孝明天皇(1831-1866)、明治天皇(1852-1912)。江戸幕府将軍は、徳川家茂(1846-1866)、徳川慶喜(1837-1913)。そして慶應4年10月23日(旧9月8日)、「慶應」を明治と改元し、旧10月13日、江戸城を皇居としたとされている。「慶應」の元号を決めるに当り、「平成」が候補となっていたが採用されなかったという記述が見つかった。なんだか、この時代により興味が湧いてきた。

*「慶應」は、「慶雲応(まさ)に輝くべし」という意で、『文選』(もんぜん)から引用。
**『文選』:中国の南北朝時代に南朝梁の昭明太子によって編纂された書物。全30巻。周代から梁までの優れた文章・詩・論文を集めた。

 今年の11月8日、慶應義塾創立150年式典に参列した。「1858年、福澤諭吉先生が蘭学塾をスタートしたことを起源とする。その10年後、1868(慶応4)年、塾舎を芝に移転するとともに学塾の礎を構築。あわせて時の年号にちなみ、学塾に「慶應義塾」という名称を冠した。」とされている。(慶應義塾・ホームページより引用)

 時代を大きく動かしてきた人々がいる。福澤諭吉先生が、蘭学塾を始めたのは、23歳。徳川家茂は21歳で、孝明天皇は37歳で没している。これら20歳代から30歳代の若い世代が、世の中を動かしてきたという史実には、改めて驚きを感じた。江戸時代の平均寿命は、50歳前後(江戸初期は、30歳前後)とも推測されているそうだ。

 江戸時代から明治時代の社会情勢、寿命など、様々な環境が異なるが、この世代の若者の生き方が、現在と何故にこんなに違うのであろうか? 同じ頃の自分の生き方を振り返ってみる。出生に始り、育った・生きてきた環境に大きく左右されるのは、事実であるが・・・。それにしても、今までの自分の意識と行動の落差に戸惑う。現在50歳となり、明治であれば、そろそろ寿命。大きな目的を達成すべく生き、志半ばで倒れていった人物もいた。比べるまでも無いが、今の自分は、どのようなポジションにいるのであろうか? 今となっては、世を変えようなどと、大それた考えを持つ気力も行動力も無いが・・・。

 自分でも苦手な領域での話となった。しかし、興味を覚えると、深く掘ってみたくなるのも不思議だ。小さい頃に、偉人の本をたくさん読めといわれていたことを思い出した。先人たちの意識、行動力など、多く学び、刺激を受けることが宝の山ようにありそうだ! 読書の秋でもあり、みなさんも歴史に興味を持って、楽しんでみませんか?

 p.s. 数年前に芸妓さんの出るお座敷にお誘いいただいた。ご年配の方々と、歴史について、語り合う20歳代の女性がいた。とても興味があり「なぜそんなに詳しいのか?」とたずねたら、「マンガ日本の歴史がわかる本」が大好きとのこと、「これだ!!」と思ったが、それすら読めずに今日に至る。(しかし、私はやはりマンガから入ろうと思う。)

 

平成20年11月吉日
悟空の里主人 金森 悟

 

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