2015年08月 57年目の年輪を刻んだ
57年目の年輪を刻んだ。
今年は、終戦70年の話題が多く語られている。
その時代時代で、意に反してやらなければいけなかったこと、避けられなかったこと。そんな状況が戦争を招き、その遺恨が続いている。戦時中のこと、終戦の体験を語れる方の平均年齢が80歳を超えたとのニュースも。当時子供であった人の戦時の思いを語られる様子を見ていると、この70年、それを胸に抱えて生き続けてきた苦難が満ち溢れている。歴史を語り継ぐことの勇気、大変さ、難しさを痛感する。悲惨な戦争の歴史、犠牲者があって、それから多くの苦難を乗り切って現在の発展した日本が、存在していることになるのであろう。無駄なことはひとつもなかったと思いたいし、その英霊たちを弔うこと、忘れてはならないし、その火を消してはならない。
戦後約20年の昭和39年に、東京オリンピックが開催された。それを契機に、日本は発展を遂げることになった。それから50年、2020年の東京オリンピックの開始が決まっている。本番まで5年となる現在、新国立競技場建設、大会ロゴなどで、多くの話題でにぎわっている。50年前のオリンピックの際に建築された競技施設は今でも有効に使われている。改修&補強が行われてきたが、電気水道などの配管設備などの老朽化は目に余る。またオリンピックとともに開催されるパラリンピック。例えば、車いすの競技者対応が不十分な施設では、大幅な改築が必要になるであろう。今後、10年、20年後に老朽化した施設を建て直すことを考えれば、このオリンピックを契機に、建て直さなければ、その先はいつできるかわからない。というのが現実であろう。今現在は、財政の問題で、高額すぎるという批判が大勢を占めるが、この先50年を考えれば、オリンピックという大義名分で、競技施設の新設に始まり、東京の防災を想定し、子孫のためにも、大きくお金をかけて、大規模に手を打てる最後のチャンスではないかと思うのは私だけであろうか?
オリンピックという目の前の目標が掲げられたことをきっかけに、テレビなどでの中高生のコメントを聞くと、「5年後のオリンピックに何らかの形で関わりたい。」と、英語などの語学を勉強したいと考えてみたり、外国の人との交流を持ちたいと夢を膨らます声が聞かれる。さらには、オリンピック出場を目標に練習に励むという人もいるという。若い世代に、手の届く大きな夢と希望を与えるイベントであることは間違えない。昭和39年時、私は幼稚園の年長で新宿区の神楽坂に住んでいた。庭先から、飛行機が、空に五輪の輪を描いた様子をはっきり覚えている。父に連れられて、国立競技場の聖火台を外から見上げた記憶もある。どれだけの印象を持つかは年齢にもよるが、親が子供をそのようなシーンに連れていく、体験させるというのは、一生の思い出として残る貴重なタイミングであると思う。小さいお子さんを持つ方は、このチャンスをぜひ逃さないでいただきたい。
57歳の年齢となると、大きな会社では、選択定年など、約35年間の社会人人生に区切りをつけるタイミングが到来している。自分の父を振り返ると、定年後に関連会社に出向し、67歳までお世話になり、その後は「悠々自適な人生を送る」といいながら、約50年近く染みついた生活パターンは変えられず、何か仕事を探すが、なかなか見つからずイライラしていた様子を思い出す。その後、親戚の会社でお世話になることで80歳まで働く機会をいただき引退。そして6年間であったが、自分の病気と闘い、母の介護に追われ、人生を終えた。「平均年齢を超えた人生は神様からいただいたプレゼント」などと言いながら、いつ死んでもいいと言っていたが、亡くなる一か月前のひ孫の雛祭りの際は、「まだ10年は生きたい」と繰り返していたことを思い出す。自分もこれから何年生きるのかわからないが、今は三人の孫に出合い、家庭の絆を大切にし、その成長を見届けていきたいと強く思う。
まだまだ残暑が続くかもしれませんが、体調に気を付けられて、お過ごしください。
平成27年8月吉日
悟空の里主人 金森 悟
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