2015年07月 お墓参り
お盆も近づき、祖先の墓参りをされる方も多いと思います。
我が家には仏壇があり、次男であった父は、田舎富山にある本家の両親の位牌をもう一対作り、富山に帰れないときは、自分でお経をあげて、弔っていた記憶がある。一昨年、両親が他界し、今では、それぞれの位牌が同じ仏壇にある。
元々、我々が、富山の田舎を忘れないでほしいとの思いから、父は、富山の本家と同じお寺に墓地を購入した。晩年、父との会話で、富山は遠いから、現実問題、なかなか墓参りには、行くのは難しいと訴えた。結果、今の東京の自宅から徒歩でも行ける墓地を買い求め、お墓の完成を待つようにして、旅立った。それから二年、時間があれば、毎週末、お花を供えにお墓には足を向けている。(今年、北陸新幹線ができ、東京-富山間は、約二時間で結ばれた。今では、さほど遠くない地となったが・・・。)
改めて、両親がいなければ、自分が生まれていないわけであるし、それぞれの両親がいたからこそ、私の両親が存在した。さらには・・・。自分が現存することへの祖先への感謝は、日頃の生活の中では、ついつい忘れてしまう。ただ仏壇があることで、遺影があり、手を合わすことができる。仏壇は、住環境により、置くことのできないご家庭も多いであろう。両親の他界ということで、改めて、親戚の存在、祖先への思いを認識している。両親の葬儀を終えて、十数年ぶりに親戚とゆっくり話す機会が持てた。本家、分家の話、子どもが多く、養子に出した話、死別、離婚など、世間一般に起こっていることは、一通り、自分の祖先でも起こっていたという話題が出た。80歳を過ぎた叔母との会話の中、記憶も不確かな中、昔話をしてくれるのであるが、その嫁からすれば、以前言っていたことと違うと指摘する。何が真実かわからない。真実を知るには、残された資料など、限られたもので、私が確かめられるものも少ないのであろう。
今年に入って、二人の孫が誕生し、孫三人となった。私の息子に女の子が、続いて娘に二人目の子供(男の子)が生まれた。娘の一人目の女の子は、私の父(曽祖父)に抱っこされたが、記憶にはないであろう。(物心がついてから、写真で振り返ることは、可能だが。)孫たちは、ある程度の年月、我々祖父母とは同じ時代を生きるが、血のつながり、自分たちのルーツにいつかは興味を持つのであろう。
祖先のお墓があっても、一人暮らしの人は、自分がそのお墓に入れてもらえるか不安ではないだろうか? 昨年、一人暮らしの友人が自宅で亡くなり、後日その部屋で発見された。当初、ご両親、弟は、他界し、唯一残された妹は、海外へ移住との情報。警察としては、事件性も疑い、本人のDNA鑑定も必要とのことに。警察では、身元確認に難航し、「名前不詳」のまま葬儀もできず、遺体安置所で保管された。遠い親戚と連絡がついたようだが、疎遠であったのか、確認&引取りは遠慮されたらしい。友人らとの間で、彼の実家のお墓についての情報はなく、それでは、葬儀費用を皆で負担し、仲間の実家のお寺に埋葬してもらおうか?との案も出た。結果、ほとんど海外を飛び回っているらしい二人目の弟がいることが判明し、連絡がつき、無事に葬儀も済ませることができた。(ちなみには、父上は病気療養中であったとのこと。)さらには、マスコミでも話題になっている認知症の問題は、本人のみならず、家族、親族の意思をかなえることができなくなる可能性が大きくなってきていると心配する。そして、少子化が進み、子どもが女の子のみで、その子も嫁いでしまうと、生家である自分の祖先のお墓を守ることは、かなりたいへんなことになるのではないであろうか? 現実的な話として、お墓を維持管理する費用、お墓に入る際の法要、墓石への戒名を彫る費用など、細かには、残された人、または親しかった人が負担することになるのであろう。そこには限界があるのではないであろうか?
お墓と墓参りを考えながら、昨今の話題を取り上げた。皆さんは、祖先への感謝、墓守、墓参りはどのようにされているのであろうか? お盆を迎えるにあたり、改めて考えてみてはいかがであろうか?
平成27年7月吉日
悟空の里主人 金森 悟
●2015年06月 邦人援護
●2015年05月 世代の移り変わり
●2015年04月 いただきます!
●2014年03月 現在と時代の差異
●2015年02月 北陸新幹線
●2015年01月 相続税および贈与税の税制改正がありました。