2015年02月 北陸新幹線

いよいよ平成27年3月14日、北陸新幹線が走り始める。富山生まれの私にしては、少しわくわく感がある。富山まで「かがやき」という一番早い列車で2時間8分。停車駅は、東京を出て、上野・大宮、長野、富山、金沢。長野から先が、約1時間。今までの車での移動時間を考えると想像を超える速さである。

私は、昭和33年富山で生まれ、昭和37年に父の転勤により4歳で東京へ。振り返れば、当時、盆暮れには富山を行き来していた。当時は、何線で行き来していたのだろうか?子供心に覚えているのは、列車走行中に、窓を開けていると、親から「トンネルに入る時は、煙が入ってくるから窓は閉めなさい!!」と注意されたこと。そのあと、うがいをしているおじさんの口から、真っ黒な水が出てきたこと。をはっきりと記憶している。(当時は、蒸気機関車であったのであろう。)信越本線で直江津まで出て、北陸本線。であったろうか? その後は、越後湯沢まで新幹線で行き、一時期までは、長岡経由。その後は、「ほくほく線」という線ができ、3時間台で行けるようになった。その後、父の車で移動することもあったが、約400キロの行程を約10時間はかかっていたと記憶している。山梨県甲府市、長野県諏訪市を通過して、長野県白馬経由または安房峠経由で(夏期)。その後、中央道、関越道、長野道、北陸道と高速道路が整備され、5時間程度で行けるようになった。今では、親戚の法事などで出かけるくらいで、訪れることも少なくなった。ただ両親の親戚も多く、通いやすくなる。

東京富山間約2時間。どのような影響があり、どのような変化がおこるのであろうか?
たとえば寒ブリを食べたいと思えば、東京よりは、現地でおいしい地酒と一緒に食べたい。と思うかもしれない。新鮮さを最重要とする白エビ、ホタルイカは、やはり地元で食すのが最高であろう。東京との時間短縮で影響するのは、ビジネス上の移動時間。富山県・黒部市に工場を持つ会社は、東日本の震災以降、リスク回避に本社機能分散を考えた。今回の新幹線開通を機に、本社を東京から富山に移す予定を公表。地方創生の第一号になると注目されている。飛行機と新幹線の競争はどうなるのか?空路の「富山きときと空港」、以前は、国内線はJALとANAが飛んでいたが、いまはANAのみで札幌、東京便を残す。国際線は、北京、上海、大連、台北、ウラジオストックへ飛んでいる。この中、東京便は、新幹線との真っ向から対抗する。当面は、東京始発の新幹線より、早く富山に到着する便は、需要があるとか・・・。空港は、冬場の雪に弱い(新幹線開通を見越して、ノンレーダー空港で設備も充実していないとの話も。)。友人の話では、過去、荒天で、二回アプローチを繰り返した後、羽田へ戻ったこともあったとか。新幹線は、雪を想定しており、よほどのことがない限りは、心配無用とのこと。

新幹線効果、プラス面とマイナス面があるという。地方は、東京から多くの観光客&ビジネスマンが訪れることを期待する。半面、地元の人間は、東京へ出かけてしまう。以前は、一泊で訪れた人が日帰りとなる。飲食業、宿泊業には打撃である。移動時間が短縮され、便利になることはいいことである。ただゆっくり動いていた時間が、早くなる反動も心配である。2027年には、リニア中央新幹線が開業し、品川名古屋間を40分で結ぶ。同時に、豪華寝台車に人気が集まる昨今、旅とビジネスの形に大きな変化が。新たな新幹線開業を契機に、再燃してきているようだ。

自分としては、富山までのドライブも好きであったが、新幹線で2時間となると、早く現地に着いて、地元で車を借りて動き回るほうが体も楽なのかな?と、まじめに考えるようになる。時代とともに、年齢とともに、旅とビジネスの移動時間の済み分けを選択しているのだと感じる。移動中に、軽くビールでも飲んで、ひと眠り。飽きるころには、目的地に到着できる。こんなパターンが、よかったのだが、あまりにも早すぎると、寝ている時間もままならない。両極端な時の過ごし方をのんびり考えてみたくなった。
皆さんは、時の過ごし方、旅とビジネスの移動時間の観念は、どのようなものをお持ちだろうか?

平成27年2月吉日
悟空の里主人 金森 悟

●2015年01月 相続税および贈与税の税制改正がありました。
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●2014年11月 苔生す
●2014年10月 断捨離
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