2014年06月 歴史を知ること

地下水の研究をする方の話を聞く機会があった。
利根川の河口は、銚子(千葉県)であることは、現在の日本地図を見れば常識である。しかし、利根川の地下水は、東京湾に流れ込んでいるという。意味がさっぱり分からなかった。
その説明は、徳川時代、利根川は江戸湾に流れ込んでいた。江戸での洪水災害対策として、「利根川河口東遷」として大治水工事が行われ、利根川の河口を銚子に付け替えた。ということ。しかし、大量の地下水は、昔のまま東京湾に注いでいるという。この事実は、いまだかつて聞いたことはなかった。
最近テレビで、富士山からの地下水が、相模湾の海底から噴き出しているという調査&証明をする番組を見た。また富士五湖も、水位の変化の調査から、地下水脈で相互につながっているものがあるという説もある。他の地域では、西条市(愛媛県)では、地下に4万トンの地下水があり、25メートルも掘れば、家庭で地下水が使えるという。住民の水道料金はただとか。また東日本大震災で被災した大槌町(岩手県)でも、たくさんの地下水がわき出てきており、栄養素を含んだ地下水が、海に流れ込む影響で、生態系&漁場に素晴らしい恵みを与えてきているという。私の自宅近くの国分寺の境内に「真姿の池」近くに名水百選にも選ばれている湧水が出ている。過去、水が枯れた事もあったが、以前は、父がお茶を美味しくたてるのに水を汲みに出かけていた。現状では推測できない自然の水の流れ、しかしこれは何十年、何百年にわたり続いて、生きているとても興味深い真実である。これを改めて知り、分析することで、今まで忘れていた、または知られていなかった自然との共生ができるのではないかと強く感じた。

上記の「大槌町」、東日本大震災の津波は、浪板海岸近くにある「鯨山神社」の鳥居の手前まで押し寄せたという。そのわずか十数メートル海側のJR山田線「波板海岸駅」は押し流された。ちょうどその脇に立つ石碑がある。(今回の津波で流され、戻されたのか?残ったのかは不明?)それは、昭和8年3月3日の地震&津波の記録と警鐘であった。表両端に「地震発生:午前2時30分、津波到来:午前3時、津波の高さ:15尺、流出倒壊家屋:622戸、溺死者:61名、浸水:67町歩、漁具農具家具多数流出」と記されている。石碑の中央には、大きく三つの警鐘が。「一、地震があったら津波の用心せよ」、「一、津波が来たら高い所へ逃げよ」、「一、危険地帯に住居をするな」と。この78年前の教訓は生かされなかったようである。
全国どこでも、過去の地名から、「沢」、「沼」、「溜池」、「谷」など、自然災害の危険地帯であることを表す知恵があった。今は、合併などの理由で、すっかり新しい名称に代わって過去の教訓を知る術もなくなってきている。すっかり過去の記録を忘れてしまった我々は、いつになっても同じ過ちを繰り返したり、さらに悪くしてしまうことは多いのかもしれない。
過去の記録を語り継ぐこと、耳を傾けること。その教訓は、忘れてはいけないことである。これは、日頃、会社、家庭などいろいろな場面すべてに共通することであろう。一方で、未来に進むためには、過去は忘れなければいけない、切り捨てなければならないこともあるであろう。しかし、過ちは、できる限り事前に食い止めることができることであり、必要なことである。
みなさんも過去の歴史から、今では忘れ去られていることを聞く機会、振り返る機会をぜひ心がけつくってみてください。大切なことに気づき、改めて前に進むことができるかもしれません。

平成26年6月吉日
悟空の里主人
金森 悟

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