2014年04月 表現力

 最近、写真家、俳人、政治家。講演者の方と会話をする機会がある。

 彼らの物の見方、それについての表現力に圧倒される場面が多い。

 まずは、写真家。私と同じ風景、同じものを見ていても、写真で表現すると結果が、かけ離れて違う・・・。同じ対象に対して、なぜこのように写せるの?見えるの? という疑問にぶつかる。結果を見れば、画面枠中に写りこむ対象のレイアウト、太陽光の当て方、影の使い方、被写体をすべて撮るのではなく、さりげなく登場させて、一部のピントをぼかしたり、撮る技術?センスは奥深い・・・。また、俳人であり、写真家である人の話は、目に見えるもののとらえかたが、いや目に見えないものまでも、自分の発想をはるかに超えて表現されている。表現する感覚、言葉から異次元である。なぜそんなところに気付くのか、なぜそんな言葉を組み合わせるのか?またなぜそのような言葉(単語)を使えるのか?観察力、表現力、洞察力、空想力など、圧倒的に違う世界を見せつけられたように感じた。

 私事で、物事の見方の変化といっても、レベルは全く違うが、携帯電話にカメラが付き、自分自身のホームページに写真を掲載したり、ブログ投稿したり、最近では、Facebook等で写真を撮る機会が日常化してきた。さらには、このホームページの毎月のメッセージを書く為に題材探しをするように心がけている。始めた頃、日頃、素通りして、気付かない草花、枝、小川などが目に入るようになってきたのが不思議であった。ある写真家の方のコメントに、「日頃見ているものが、カメラを通すと、こんな風に写すことができるんだ!!?と、感動を与えられることが大切である!!」と。例えば、「接写」。花のおしべをアップで撮る。日頃、そんなに近くで花を覗き込むことは絶対にない。しかし、そこには、美しさ&感動がある。「モノクロ写真」。これも色が付いていることが常識で、馴れている中、日頃知る風景や街並みがモノクロ写真で写しだされると、ノスタルジックな感情に合わせて、目に見えていない色を想像することに始まり、何やら深く見つめて、自分勝手な想像を膨らませている自分に気づいたりもする。面白い瞬間である。

 目で見えることを、いかに他人に感動を与えて表現するか?目に見える写真という方法、俳句という耳から入ってくる言葉、その成果を楽しみことができるのは知的な遊びとでもいえるのであろうか?写真の愛好家には、若い女性がとても多いことに気づく。なぜ、彼女らは、カメラを持つのか?また何を目的に写真を撮るのか??それぞれの個性によるところで、一つにまとめることではないが、共通な目的があってもおかしくないと思うのは素人であろうか? 昔のような一眼レフのフィルムカメラはすっかり少なくなっているが、デジタルカメラでも一眼レフの高級なバージョンにも人気が出ているようた。加えて、政治家や講演をする人たちの言葉の選び方、使い方に、自分では、聞いたこともないような言葉が盛られ、飾られ、表現されることに気づくようになってきた。同級生&後輩にも、国のために働いている政治家が数名いる。聞いている人に残る表現、言葉など、街頭演説などを繰り返して、学び、堂々と人前で、表現力を駆使して、自分の思いを有権者、後援者に伝える工夫、努力を続けている。

 自分自身、ボキャブラリー(語彙)の少なさ、表現力の乏しさを日頃感じるわけであるが、写真家、俳人、政治家などから直接、話を聞く機会から、突然、より磨きたいと思うようになってきた。55歳という年齢で、使う言葉、表現力など、決まりはないが、年相応にしようとしたら、何を参考にすればいいのであろうか?また自分自身、身の回りの変化に気を配り、目に入ったことをより上手に表現し、自然の変化などを感じながらアウトプットする。他人を感動させる写真、俳句、話・・・。そこまで行かなくても、印象に残ることを提供できれば素敵だと思うこの頃である。

 みなさんは、日頃心がけていることは何ですか? あるときは、写真家、あるときは俳人、ある時は政治家になったつもりで、流れすぎてしまう生活に、活を入れたい、感動したい、豊かに表現してみたいと思いませんか?

平成264月吉日

悟空の里主人 金森 悟

●2014年03月 人とのつながり
●2014年02月 降雪対策について
●2014年01月 居住空間
●2013年12月 一年を振り返って
●2013年11月 未知の世界へ・・・
●2013年10月 観察力と表現力