2014年05月 パワー不足・・・??

55歳を過ぎて、自分の体力&持久力の低下は体感している。人間ドックへ行っても、チェックポイント多く、長期安定メタボ状態。性格的には、変わらず、ずぼらで短気な性格だと分析している。またスポーツ万能で、松岡修造氏のように、熱血漢でもない。最近、30歳代の若いメンバーと飲みに出かける機会で感じたのは、話の盛り上がり、話題、言葉も?付いていけない場面が増えてきた感じがある。耳も聞きづらくなってきた??(笑)一番の原因は、自分の努力不足&情報不足という自覚もあるのだが・・・。並べたらきりがないほどの不足部分があるのであろう。「これではいけない!!!!」と感じているだけでは、何も変わらない。

年相応という言葉もあるし、また若づくりする願望もない、若い者には負けないという闘争心もなくなっている。見た目は、若いといわれるのだが・・・。先日、ある会合での中、来賓のスピーチで60年(60歳)という言葉が話題となった。「サザエさんに登場する波平さんの年齢設定は54歳。」、一方「コミックの会長 島耕作は、1947年生まれの現在67歳」。このふたりのギャップは、驚くばかりである。その時代背景を反映した登場人物設定が行われるはずなのだが、それほど大きな変化が世の中にあったということだろうか?

時代のギャップとすれば、身近に参考になるのは、自分の父親であり、子どもである。今月10日、25歳の息子が結婚した。私は55歳で30歳違う。自分を振り返ると、30年前の5月、同じ25歳で結婚し、当時の父は56歳であった。当時の父は、運動はゴルフ程度、他の趣味は、書道、油絵、短歌、謡、庭いじりであったろうか?元々農家の出身であり、草花など土いじりへの関心は高かった。当時は、人間歳をとれば、次第に絵画など芸術に興味がわき、クラッシック音楽を聴くようにもなる。また書道などで、そこそこの字も書けるようになるのではないか?などと、勝手な思いがあった。今現在、当時思ったことで、父がやっていたことを何か一つでもできることがあるかというと、やはり違うタイプの人間としか言いようのないギャップがある。簡単にいえば、芸術文化面が、私には欠落しているということであろうか?歳をとれば自然に・・・なんてありえない空想を今まで持ち続けていた自分が哀れである。父の他界により、同居していた自分に即座にやってきたのは、庭の手入れである。植物の名前など殆どわからない中、テニス仲間で造園専門の友人の手助けで、まずは庭の整備に始まり、定期的にやり取りをして、自分が何をするべきなのかを指導してもらっている。

さらなる変化は、人間ドックでの指摘を受けて、体重を落とすことを緊急の課題(昔から緊急??)とされており、週に数時間のウォーキングを勧められた。先日、仕事の合間に時間があり、秋葉原から築地へ50分、竹橋から有楽町20分と歩いた。途中お店にも入ったが、街路樹、または皇居のお堀沿いを歩きながら、草花樹木が目に入ってきた。日頃関心がないものであったが、一度、何らかの関心を持つと、違うアンテナが出てくるのか、気にかける心がけが出てきたのは不思議な現象である。同時に、先月のメッセージにも書いた、写真家、俳人という方の対象への観察力の深さ&感性の高さ、また目で見たことをさらに自分の味付けで、表現力を加えて、相手を感動させるという力には、改めて驚かされるものがある。同じ対象を見ても写真家の人は、どんな作品に仕上げるのか?また俳人は、それをどのように言葉で表現するのだろうか? 特段、どこかへ出かけるとか、何かの段取りをするとか、全く必要はなく、日頃行動している範囲で、興味、見方を変えるだけで、何十年も気づかなかった、興味もなかったことが、突然目の前に、頭の中に、アンテナに引っかかってくる。これはだれにもできることではないか?

何かに関心を持つ大切さ。自分の狭い人生観に比較して、多くの場所で経験を積んでいる若者からヒントをもらうこともあるだろう。さらに自分の無い趣味を持つ人からもアイデアをもらうことができるに違いない。人生、今まで不足してきた部分をとりあえずこんなところで補ってみようかと考えてみることにした。新しいパワーを注入できるのではと、楽しみである。みなさんも何か一ついかがでしょう?

平成26年5月吉日
悟空の里主人 金森 悟

●2014年04月 表現力
●2014年03月 人とのつながり
●2014年02月 降雪対策について
●2014年01月 居住空間
●2013年12月 一年を振り返って
●2013年11月 未知の世界へ・・・