2013年05月 ルーツをたどる

父の四十九日の法要を終えた。今でもどこかに出かけていて、ふらっと帰宅するような感じもあるが、そろそろいつものペースで活動を始めなくてはいけない。葬儀はもちろん四十九日法要、その後の諸手続きは、日頃慣れているものでもなく、手際も良くなく、なかなかスムーズには進まない。またどこから知ったかわからないが、色々な業者(香典返し、お墓、位牌、リフォーム、粗大ごみ処分、税理士事務所など)からの営業の電話&訪問などが立て続けにあった。やらなければいけないことはまだまだ続くが、スケジュールに従い進めなくてはいけない。生命保険の営業という仕事をしながら、エンディングにおける知識をある程度は持ち、お客様にも役だってきたつもりであったが、実務的に細かな段取り&手続きは、かなり厄介なことが多く、時間とお金の無駄ではないかと思う場面も多々出食わす毎日である。
いくつかの手続きと親戚への挨拶回りで、父の実家がある富山県富山市へ出向いた。何十年ぶりかの親戚めぐりをした。80歳を過ぎた親戚も数名いて、父の子供のころの話から、自分の家のルーツを聞くいい機会でもあった。生前、父もエンディングノートに書きしるそうとしていたようであるが、当時を知る人たちに聞けば聞くほど複雑怪奇(笑)。また記憶もうろ覚えになってきているので、以前の話と食い違うことも多い。実家が農家でもあった故か、明治から大正にかけて、子供が何人もいて、大家族が多かったようである。幼いころから、養子に出されたり、迎え入れたり、嫁いだり、また出戻ったり、・・・。相続手続きの中、父の出生からの戸籍を見る過程で、祖父の戸籍の中からも、知らなかった事が記載されていることも・・・。長老の話を聞き、記憶のはっきりしている若手の親戚の意見も合わせながら、ルーツをひも解いてゆく。教科書で見るような、何代目と呼ばれるような立派な家系図をイメージしていたが、これはかなり血筋のしっかりしたご家族のもので、庶民の間では、辿れば辿るほど、複雑になるのではと感じた。まあどんな経緯であれ、現在の自分があるのは、両親、祖父母、曽祖父母と、男女のペアから始まった血筋である。細かなことは言わず、ざっくり言って「親戚」の一言であろうか?(笑)
人生50年を過ぎても、自分のルーツには、あまり興味も持たず生きてきた。子供心に富山の父の実家で、祖父が食事前に、ご飯を備えて、線香を焚き、お経を読む風景に何の違和感もない。我が家の仏壇の上には、祖父母の遺影が飾ってある。ここで、また一枚増えることになる。そこで現実と向き合うのかもしれないが・・・。
さて、自分の子供たちは、自宅に仏壇を持っていない。いや、持てるほどのスペース確保も難しいのであろうが、この先、先祖と向き合うのが、お墓参りだけになってしまうのは寂しい感じもする。
日頃、家族経営で、親戚に囲まれて日々を送っておられる方もいらっしゃるであろう。しかし多くは、日常生活の中では、周囲の人たちとの人間関係の中で過ごすことが多く、本当の親戚と顔を合わせる機会は極めて少ないのではないであろうか? 先日、30年以上の付き合いのある友人がアメリカから一時帰国。その仲間たちとの再会があった。「親戚より身近な他人」という言葉があるように、その友人たちとは、「親戚みたいだね~!」といいながら、長く続く絆を感じた。親戚と集まるのは、冠婚葬祭くらいになってくる。日頃会うことはないが、今回の父の葬儀で再会した親戚とは、意外に近く感じた。これは、父親が親戚関係を大切にし、誰の子供がどこの大学へ行った、どこへ就職したなどの話題を、私に聞かせてくれていたからだと感じる。今回の葬儀をきっかけに、自分の子供にも、受け継いでゆくのが私として、親としての私の使命であるとも感じた。
皆さんのご親戚は、お近くにいらっしゃいますか? ご親戚と集まる機会はどの程度ありますか?
距離は離れていても、身近にいることが当たり前の感じがしますが、もう少し大事にお付き合いしたいと改めて感じた次第です。

平成25年5月吉日
悟空の里 主人
金森 悟

●2013年04月 エンディングノート
●2013年03月 訪問地でのひととき
●2013年02月 風化と復活の力
●2013年01月 流れ
●2012年12月 ぬくもり
●2012年11月 鍛えたからだ