2013年04月 エンディングノート

 去る4月4日、同居の父が他界した。3月26日に86歳になり、31日まで元気に歩いてでかけていた。その日の深夜、脳梗塞となり、4月1日朝に気付き、救急搬送したが、治療もできないまま4日の早朝息を引き取った。あっけない最後とはなったが、86年間、多くの人に支えられた人生であったと思う。内輪のことでは、一昨年の孫の結婚式への出席、昨年には、ひ孫もでき、とても喜んでいた。父の4月のカレンダーには、大好きだった短歌の歌会の集まりで、故郷富山へひとり出かける予定が記してあった。また退職した会社OB会の集まりにも出席連絡をしていた。
 葬儀に際し、父がお世話になった方々からご挨拶をいただく中から、家族では知らなかった父の仕事ぶりなどを伺うことができ、趣味の短歌では、多くの方から厳しく批評する年長者でもあり、尊敬もされていたようすも伺い知ることもできた。
 世の中の常なのであろうが、身内の逝去に際し、臨終の瞬間、その後の葬儀の段取りなど、即断即決の流れに初めて接する自分としては、理解&判断するのに一呼吸置かなければ、納得しにくい場面もあった。病院では、息を引き取ると間もなく、霊安室に移され、数時間のうちに搬送を迫られる雰囲気があった。おかげさまで知人を通じて、相談していた葬儀屋さんにお願することができ、すみやかに父を自宅へ連れ戻すことができた。
 葬儀は、葬儀屋さんのお勧めに従い、滞りなく多くの方に会葬いただけた。多くの人との触れ合いが好きだった父にとっては、日頃なかなかお目にかかれない友人&知人たちが、一同に介していただき、沢山話もしたかったであろう。
 実は、母親が昨年から体調がよろしくなく、老人ホームに入所し、父親が一生懸命に世話をしていた。変な話、母のほうが先に危ない局面もあった。自分がまだまだ元気であると自負していた父は、時間をかけて、「エンディング」を考えようとしていたようである。ある会社から「エンディングノート」をもらっていた。数十ページある中、最近、親族構成、家紋などの走り書きのようもので1ページ半くらいを書き始めていた。一方、基本的には、用意周到であった父は、お墓の段取りをして、4月末には、完成する準備を進めていた。
 私自身、仕事柄、お客様の逝去に際し、保険金などのお手続き、葬儀のお手伝いと、ご遺族のお力になれるように、わずかでもサポートできたと思っていた。ただし、当事者となると、細かなことから、本当に大変なことばかりである。今回は、父と同居していた関係で、父が日頃使っていた手帳が手元に見つかり、趣味の関係、会社OB会の関係などと、大まかな人間関係が判明したことが、訃報連絡などをスムーズにしてくれた。
 自分はまだまだ元気であるとだれもが思う。身の回りは、いずれ整理しようと考える。年を重ね、同時に体調を崩すと、身の回りのことは、なにもできなくなる現実は、想像できないのであろう。
また日頃会うことのできない旧友たちとの再会は、その人の葬儀であるケースが多くなるのではないだろうか。ほとんどの人が、あの時、会っておけば、話しておけば、と終わってしまうのが人生なのかもしれない。その瞬間、その瞬間を大切に。は常に考えるが行動に移せないことばかりでああろう。何も変えられないのかもしれない。しかし、家族のこと、友人のこと、一年にひとつでいいので、何か区切りをつける習慣も必要なのかと感じた次第である。
 寂しさ、悲しさは、必ず訪れるもの。しばし浸るのもいいだろうが、明るさ、楽しさを拒否せず、受け入れる余裕を持ちたいものだ。前に進もう!

平成25年4月吉日
悟空の里主人 金森 悟

●2013年03月 訪問地でのひととき
●2013年02月 風化と復活の力
●2013年01月 流れ
●2012年12月 ぬくもり
●2012年11月 鍛えたからだ
●2012年10月 生き様