2018年07月 50歳台最後の月を迎えて
来月には、「還暦」。学生時代の仲間、前職の同期は、この春から定年を迎え、雇用更新、新たな道へ進む者も出てきている。学生時代、入社したころは、「60歳」の人は、すごいおやじに見えた。自分がそこに到達するとは、月日が経過するのは早いものである。
かれこれ10年近く前になるが、大先輩と話をしている中、将来に向けて何をしてゆきたいか?と意見交換をしていた。話が進み、「ところで君はいくつになる?」、「50歳です。」と答えると、「もう少し早ければな~!!」と言われたことが心に残る。50歳になったら、この先を考えていく上で、もう間に合わないのか?手遅れということなのか??と少なからず軽い挫折感を感じた。そのまま、その後も、大きな舵を切ることもなく、還暦を迎える。
「60歳??もう遅いんじゃない?」といわれるのか??何か新しいことへ期待する対象ではもうないのか?? 確かに、20歳台、30歳代に比べれば、体力的、仕事のスピード、フットワーク、判断力など、衰えがあることは自覚できている。しかし、長年の人生経験の蓄積もあり、決断力の早さ、腹のくくり方は、潔いかもしれない。また自分自身、何か若い人に託すには、それぞれの年代と経験、人間性を吟味してお願いごとをするように、自然と判断するようになってきている。至極当然のことである。
生まれてから60年、学校に行き始めてから54年、社会人になってから37年(本当は38年だったはず・・・)。
現在の国内生保に転職してから25年。家族のことで言えば、父親になって32年。おじいちゃんになって6年。両親を見送って6年。と数々の行事を経験してきた。あまり振り返ることはなかったかもしれないが、今更であるが、「これでよかったのであろうか?」と思うことばかりでもある。
しかし、年齢的に、割り切ってしまう感覚は、どんどん研ぎ澄まされて、「まあ過ぎたことを振り返っても仕方がない!」と思ってしまう。仕事を含め、人生多くの失敗を重ねてきた。しかし、多くの人とお付き合いする中、過去の経験がその人間を形成していることが良く分かるようになった。失敗をした人間は、失敗した部下の気持ちがわかる。失敗から立ち上がった人間は、一回りも二回りも大きくなって、魅力ある人間味を出してくる。
繰り返しになるが、自分は何をしてきたのだろうか? 何か人の役に立ったのだろうか? 生きてきた意味があったのか? やり残したことは何なのだろうか? これからやりたいことは何なのだろうか?
先輩方、定年した仲間、海外旅行へ出かけたり、教室に通って習い事を始めたりと、いろいろな生き方を選択されている。一方で体を壊し、早くに旅立った仲間、定年前に退職し療養している人もいる。現在の仕事は、形上の「定年」のタイミングは経過するが、そのまま継続して、生命保険のお客様をお守りしていく方向に変化はない。しかし、人間には、必ず限界が来ることを目の当たりにしてきているので、腹のくくり方も考える準備も重要であろう。おかげさまで、今日現在、自分自身はまだ元気である。一つの区切りとして、今までの経験を活かし、人の役に立てる場があるのであれば、ぜひとも力になっていきたいと思う。
「定年」をキーワードで、ネット検索をしてみると、起業(スタートアップ)の文字が多く出てくる。今までの経験を活かして、自分の会社を作り、活躍をしていこうというものであろう。特別な例としては、65歳でケンタッキー・フライド・チキンを創業したカーネル・サンダース。この年齢からでも企業を立ち上げ、大成功ができるチャンスがあるということであろうか?
マスコミでは、「人生100年時代」といわれ、定年後40年をどう生きるか?など話題も多い。仕事、健康、新しいことへの対応力など、今まで以上にアンテナを張って、自然体で活動ができる。そんなことを考えみようかと思う。さて、この先、私がどのように生きてくのか、皆様には傍観していただき、何か間違えでも起こしそうになりましたら、ぜひご助言をお願いいたします。
平成30年7月吉日
悟空の里主人 金森 悟
●2018年06月 よく噛むこと!
●2018年05月 富山の昆布とかまぼこ
●2018年04月 人とのつながり
●2018年03月 医の進化
●2018年02月 海上研修
●2018年01月 新年に考える
●2017年12月 今年振り返って
●2017年11月 時代は違う・・・?
●2017年10月 異世代交流