2018年05月 富山の昆布とかまぼこ

 私は富山県富山市で生まれた。(両親の実家も同じである)

 こどものころ、遠足などへ出かける際に、おにぎりを持参した。母が作ってくれたのは、真丸のおにぎりに「とろろ昆布」でまぶしたものであった。当時、ほとんど気にはしなかったが、友人のおにぎりには「海苔」というものが巻いてある不思議なものであった。後に、珍しいのは自分であったと気付く。家の食卓でお鍋をするときは、鍋の底に大きな昆布が敷かれていた。自分にとっては、それがお鍋の基本。刺身についても、「昆布巻き」、「昆布〆」というものが食卓に上がり、美味しく食べてきた。振り返ると「昆布」が食の中に常駐していたことになる。

 先日、沖縄から来られた方と、沖縄の昆布の消費量が全国でもトップクラスであった話題で盛り上がった。「昆布ロード」(北海道→北陸→大阪→薩摩→琉球→中国)のストーリーを改めて聞いた。昆布が取れるのは、北海道から東北。それが何故、富山での消費が多く、さらには、沖縄まで地元の食文化に根付いてきたのか? 昆布消費について直近のデータを調べてみると、消費額では、富山市全国1位(盛岡市2位)、消費量では、盛岡市1位(富山市3位)。県単位の消費量でみると、岩手県1位、青森県2位、富山県3位。さらに、過去には、沖縄が1位を独占してきた時期があるという話題が加わる。18世紀後半(江戸時代)、昆布ロードで、北海道の昆布は、北前船で大阪に持ち込まれた。それを薩摩の商人たちが、奄美や琉球の砂糖と物々交換し、琉球の貿易ルートを使い中国へ輸出していた。19世紀には、琉球から中国への輸出品の8割は北海道昆布で占められたといわれる。貴重な食品として扱われた昆布は、薩摩が、大阪や下関で、琉球の砂糖を昆布に換えて、その昆布を中国に運び、薬や唐物を入手していた。薩摩が、琉球経由で昆布を中国に輸出し。莫大な利益を上げ、ここで蓄積した資金で明治維新の原動力にしたと言われているようだ。沖縄では、輸出できない2級品や切れ端が残り、琉球での昆布食文化が始まったと言われている。

 親しいシェフと、日本人の出汁の話をしたことがある。昆布出汁文化と、カツオ出汁文化の違いの話題が楽しかった。昆布出汁の中には、グルタミン酸が、カツオ出汁には、イノシン酸が主な成分とされている。
グルタミン酸は、母乳に多く含まれる。赤ちゃんは、おなか一杯になって寝てしまうのはもちろんであるが人を「ホッとさせる」効果があるという。イノシン酸は、動物性でもあり、疲労回復&元気にしてくれるという。地理的な食文化で生まれ育った人の性格が、その地の出汁に起因するのではないか?という話題で話が弾んだ。カツオ消費量の多い高知県は、血気盛んな元気な人が多いでしょ?・・・等々。料理の世界では、昆布だしとカツオだしを混ぜて「一番だし」として、料理の基本があるという。とても興味深い。

 もうひとつ、自分にとって富山の味といえば、「やわらか」である。標準語(?)では、かまぼこ。
これもこどものころから慣れ親しんだもの。簡単に言うと、静岡産などのかまぼこと比べて、食感がとても「柔らかい」。初めて、板の上に盛られたかまぼこは、別の食べ物であった。お祝い事には、かまぼこで鯛を模った大中小サイズのものがある。「鮨かま」といって、お寿司のように、かまぼこの上に旬の魚が乗っているものなど、バラエティなものもある。長らく、自分でも中元&歳暮などで、お世話になった方々へお送りし、珍しがられ、喜ばれているアイテムでもある。皆さんも機会があれば、お試しあれ。

 生まれながらの食生活は、自分の体を形成してきた基礎であり、自分の食生活の常識である。家庭での味噌汁、お雑煮など、父方の実家の味、母方の実家の味、それぞれがその家庭の常識になってくる。我が家は同郷であったが、ご夫婦によっては、昆布出汁とカツオ出汁と違う出身地であることも多いであろう。出来合いの便利な食材が増える中、生まれながらの慣れ親しんだ体に良いもの(悪いものもあるかも??)を改めて振り返ってみるのもいいのではないだろうか?

 みなさんもご自身のまたご両親の出身地の出汁のベースから調べてみると楽しいのではないだろうか?そして、日頃の食事を見直してみてはいかがだろうか?

平成30年5月吉日
悟空の里主人 金森 悟

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