2016年04月 大震災に際して

熊本&阿蘇地域での大きな地震が続いている。お亡くなりになられた方、ご家族ご親族の方には、心よりお悔やみ申し上げるとおもに、被災されて、非難されておられる方々、復旧までの時間がかかるかと思われますが、心身お気をつけて、お過ごしください。
阪神・淡路大震災(平成7年1月17日)から21年。M7.3規模の地震が発生した。東日本大震災(平成23年3月11日)では、M9.0。今回の熊本は、M6.5で、最大震度7で、その後も震度6規模の余震が続き、その後も阿蘇から東へ移動してきている感じがする。地震には全く素人であるが、地殻のプレートは、つながっているわけで、これが、南海東海トラフ地震への兆候でなければいいのですが・・・。
元々日本は、火山国であり、いつどこで地殻の変動、地震が起きてもおかしくない国である。災害は繰り返される。九州地方は、台風のみならず、雨の災害が頻繁に起きている。また活火山「阿蘇山」がある。過去の教訓を生かして、災害発生後の対策ノウハウのマニュアル化、広く知らしめる早急な努力が必要と思う。
私は、阪神・淡路大震災の際に、当時のシニアスカウト(ボーイスカウトの高校生チーム)を引率して、芦屋公園にテントを張り、救援物資運搬のお手伝いに出かけた。当時の混乱は、その後、まとめられ、一つのノウハウとして、東日本大震災では、かなり生かされたと思う。
当時、国の対応としては、海外からの救援隊の医師&救助犬が来てくれたにもかかわらず、「日本の医師免許がない」、「犬の検疫が通らない」などの理由で、帰国させられたという出来事があった。また全国からの一般のボランティアは、現地の救援ニーズに合わない勝手な行動が目立ち、現場で衝突があった。これには、芦屋市役所にボランティアの本部を設置。登録制にして、避難所などのニーズに合った支援との連携し、体制を整えた。
全国からの支援物資。これが現地では大きな問題となった。我々もその荷物の仕分けにかなりの時間をとられた。
例えば、東京のおばあちゃんが、冬の寒い中の被災者のことを考え、親切心で、段ボールの中に、ホッカイロ、歯ブラシ2本、タオル5本、セーター、マフラーなどを入れる。最後に、少しでも元気をつけてもらおうと「大福もち」をひとつ上にのせて、梱包してくれた。被災地は大混乱しており、人手が足りない。数百人単位の被災者がいる避難所からは、「歯ブラシ200本、タオル500本・・・」といった要望が届く。全国から送られてきた荷物は、学校の体育館に山積みされ、開梱、仕分けができず、数週間、数カ月放置されている、我々は、開梱し、歯ブラシ、タオルなど、アイテムずつに仕分けした。その中からカビの生えた「大福もち」が現れる・・・。
教訓としては、救援物資は、個人個人が被災地に直送せず、例えば、地元の市区役所に荷物を集約し、「アイテムごとに仕分けしたのちに、被災地へ送る。」ことである。
震災後、数カ月、救援物資が山積みされた学校の教室。授業再開は進まない。さらに大きな疑問ことがあった。簡単に言えば、「企業からの不要な救援物資」。電気&ガスのインフラが断絶された被災地への「電気カーペット」、「ガスファンヒータ」などである。それらは、企業倉庫にあった在庫処分商品で、被災地への寄付にすれば、うまく経理処理ができ、倉庫スペースを空けられる。食料には賞味期限がある。お弁当、パンなど、が大量に支給される中、我々が、ボランティア本部へ行くと、このままでは、腐らせるだけだから、一人で、4個&5個のお弁当をいただいた。
東日本大震災では、お手伝いはできず、岩手の「大槌町」へ足を運び、現地の方の話を聞き、流されてしまった図書館の復興に、私の父親の書籍、私の子供たちが使った児童書などを含めて、段ボールで10個ほどの書籍を寄贈した。その後も「東北食べる通信」という地元で活躍している漁業&農業に従事する人たちから、毎月、食材を受け取る登録&寄付をしている。
芦屋で救援物資運搬をお手伝いした際に、地元のボーイスカウトのリーダーと我々が連れて行った高校生とが語り合った中、忘れられない言葉がある。「君たちは、大地震で何が起こったか、何をしなくてはいけないか、この惨状を目に焼きつけて東京へ戻ってもらいたい。将来、東京で、大きな地震が起きたときに、君たちの記憶が、大きな教訓として生かされるように。」と。さらに、「復興活動は、被災した自分たちがやるもの。自分たちで立ち上がらなければ、本当の復興はできない。」(この方は、ご家族は無事であったが、ご自宅倒壊した方であった。)或る炊き出しの現場で、おにぎりを一人ひとつずつ配っていた中で、ある被災者がその待遇に文句を言ったそうだ。それに対して、「私も家を失った。ただし、自ら動いて、高齢者&子供などの弱者に手を差し伸べたい。体が動く元気な方は、大変であろうが、自らが動いて、みんなで復興してゆきませんか!」と返事をしたという。
これが現実であると思う。被災地にボランティアに行っても、長期にわたり、通うことは難しい。被災者の復帰は、年単位である。そんな意味でも、大きな被災の経験は、その地域だけではなく、日本国民全体で、共有し、被災後の被災者の復興への大きな心の支えとなるものにしていきたいものである。
平成28年4月吉日
悟空の里主人 金森 悟

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