2014年11月 苔生す

石川県小松市郊外日用町にある「苔の里」を初めて訪れた。日用神社を一角に持つ、苔生す広さ1万1250平方メートルの地域である。敷地内は、苔だけではなく、石川県を代表する日用杉、夏には、ホタルが舞う小川が流れている。苔の上に落ち葉があると、その部分の日照量、湿度などが周囲と違ってしまうので、落ち葉一枚一枚まで拾う。町民の私有地であり、維持管理は町民が行い、鑑賞目的の立ち入りを限定的に許可しているという。踏み入れてはいけないのでは?と思えるくらい美しい苔の上を恐る恐る歩くと、ふわふわのじゅうたんに乗っているようで心地よい。さらに触ってみると程良い湿り気がある。地表によって、日向、半日陰、日陰の環境が生じており、それぞれに適応した48種類の苔が生育していると。例えば、日向の環境を好む苔「ウマスギゴケ」、半日陰「ハイゴケ」、日陰を好む「ヒノキゴケ」などがあると。そして、全国農村景観百選にも選ばれたという。

歩き回った短い時間。爽やかな空気、静かな空間、一面の苔の色、風景に、心が落ち着いた。「苔生す空間でのひと時は、何故心を穏やかにさせるのであろうか?」ふっとそんな疑問がわいた。苔むす庭というと、京都のお寺が思い浮かぶ。全国の苔庭で有名所を調べてみると、約20か所。そのうち約半分は、京都のお寺であった。曼殊院、高台寺、大徳寺、三千院、東福寺、銀閣寺、法然院など。苔が生すには、それなりの環境が必須であろう。日照量、湿度など、京都という地は、地形的にも適しているのであろうか?

「苔生す」と聞けば、日本人であれば、国歌「君が代」の歌詞を思い浮かべるだろう。「こけ」の語源は、「木毛(こけ)」(木に生える毛のようなもの)。「むす」は、「生(ム)す」」、「産(ム)す」で、生まれる、発生するというものがあるという。改めて、「君が代」を調べてみると、

古今和歌集 巻七 「わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて苔の生すまで」

(あなた様 いついつまでも長生きされますように。小さな小石が、悠久の年月を経て、巌となりさらにそれに苔が生えるようになるほどまでに)

これは、平安時代以前から多くの民衆に「祝い歌」として朗詠されてきたとされ、白拍子、神楽歌に採り入れられ、元々は「神遊び」即ち舞いをつけて朗詠された「鎮魂(たましずめ)」や「再生(たまふり)」儀礼の性格を帯びていたと考えられていた。という。国歌としての意味は、「日本が千年。八千代に平和であるように・今は小石であるものがやがて集まり大きな岩となりその側面に苔が生えるほどの長い時が経っても・・・。」しかし、こんな歴史的背景があったとは、今まで詳しく知らずにきた。日本人と苔との関わりは、はるか平安時代以前から続く、奥深い意味合いと、言葉で表せない日本人の心の奥底に流れる精神に結びついているものがあると感じる。

普段では、あまり考えもしないテーマに踏み込んでしまった感じがあるが、苔生す里を歩いたことで不思議なものを感じ、「君が代」の歴史的な背景・意味に触れることができた。日本人として生まれ、育ってきた人生・歴史を改めて、大切にしていきたいと思ったのが正直なところである。

みなさまは、京都のお寺の苔庭をご覧になったことがあるのだろうか?ご覧になった方は、何を感じられたか?「君が代」を歌う&聞くのは、オリンピック、学校での行事、国のセレモニー以外は機会がないのだろうか?日本人としての歴史、ルーツを改めて見直してみたいと思った。

平成26年11月吉日
悟空の里主人 金森 悟

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●2014年05月 パワー不足・・・??