2019年12月 変わらぬ風景

 今年は平成31年で始まり、改元があり、5月から元号「令和」がスタートした。皆様にとってどんな一年であったでしょうか?

 先日、何年ぶりであろうか?東京から中央高速道路で信州へ。甲府を過ぎた辺りから、雲の無い空にくっきりと富士山が見えた。その後、八ヶ岳を見ながら諏訪湖SAで休憩。夕日が諏訪湖を照らしていた。フッと「諏訪湖を挟んで八ヶ岳と富士山が見える」写真のことを思い出した。約40年前、就職で諏訪盆地を訪れてから、その光景は見たことはなかった。転職して、東京に戻ってから、ここ数年前にその写真を見る機会があった。一度も目にしたこともなく、知っていれば、当時のいいデートコースとして使ったに違いない。「本物??」と思った。SAでの休憩中にネットで調べると岡谷市から塩尻市へ向かう途中の塩尻峠にある「塩嶺御野立(えんれいおのだち)公園」展望台であることがわかった。写真だけでも!とカーナビで現地に向かった。数名の方が先に写真を撮っていた。そこには雄大に、夕焼けに映えた「諏訪湖を挟んで八ヶ岳と富士山」の光景が。もう少し待てば、手前に岡谷市の夜景が加わり、より夕焼けに八ヶ岳と富士山がくっきり映えたのかもしれない。約束の時間に向けて、後ろ髪をひかれながらその場を去った。その先は、40年前の通勤経路であった「塩尻峠」。小さな車で「カーブを攻めて・・・!」楽しんだ思い出のある道であった。(東京転勤してからは、高速を使い、峠を通る機会はなかった。)峠を越えて、私が社会人になって初めて勤務した前職の事業所を訪れた。事業所は、昔と変わらぬ場所、新しくなった建物など、当時の思い出がよみがえってきた。友人との用事を終え、同期でもあった旧友が開いた喫茶店のある「安曇野」まで足を延ばし、25年ぶりくらいの再会を果たした。

 その晩は、諏訪にある嘉永元年(1848年)創業の老舗旅館「ぬのはん」に宿泊。私が就職で初めて諏訪を訪れる際、父の会社の上司の学生時代の同級生。そして私の大学の同窓ということで、この旅館オーナーで地元の名士でもある「藤原正男」さんをご紹介いただいた。それがご縁で、諏訪市のまちおこし、諏訪湖の浄化、国際交流などの地元ボランティアに関わることに。その地元の大先輩には、仲人もお願いした。さらに、新婚旅行先のハワイ島のコナでコーヒーとマカデミアナッツ農園を営む日系二世のご家族をご紹介いただきホームステイ。その後、東京へ転勤し、海外出張の際には、彼の名代として、ニューヨークの「カーネギーホール」に唯一レッスンスタジオをもっていた諏訪出身の故新村栄一氏の奥様を訪ね、ロンドン郊外の友人も訪ねた。さらに、諏訪市の国際交流事業でアメリカの「セント・ルイス」を姉妹都市20周年行事の訪問団一行の一員として訪問する機会も作ってくれた。そんな活動を通して、前市長とも仲良くさせていただき、交流は続いている。さらに現市長は、大学の同期である。諏訪の地を離れて35年以上になるが、諏訪との縁は、形を変えてどんどん深まってきている。老舗旅館「ぬのはん」は、約20年前に大改修を行い、オーナーのこだわりのポイントをご案内いただき、中庭を眺めながら色々な話をした。今回もその腰掛に座るとその時の会話も思い出された。その中庭の池の鯉で子供たちを遊ばせたことも懐かしい。

 「諏訪」という地域は、住んでいるときには興味を持たなかったが、地形としては、八ヶ岳&霧ヶ峰を背景に、諏訪湖を抱える。「尖石」縄文遺跡に始まり、諏訪大社が鎮座する。諏訪大社の祭神は、古事記の中にある「タケミナカタ」という日本の神である。神秘に満ちた地として、とても興味深い場所であることを知ることになる。7年に一度開催の奇祭「御柱祭り」、毎年8月15日開催の「諏訪湖花火」は圧巻である。

 人間は、大きな変化をもたらしているのであろうが、40年経過しても、湖と山の地形は全く変わらない。変わらない風景は、懐かしさだけでなく、安堵と癒しをもたらす。縄文の時代から現在に至るまで、大自然の雄大さと素晴らしさを実感する。全国にも同じような場所が、多く存在するに違いないが、これも出会いであり、自分の人生の一部であるこの地をいつも大切にしていきたいと思う。

 皆様、今年も「悟空の里」を訪問いただきありがとうございました。新年も良い年をお過ごしください。

令和元年12月吉日
悟空の里主人 金森 悟

●2019年11月 時代の始まり
●2019年10月 秋の旬
●2019年09月 月の光
●2019年08月 見た目と生き方
●2019年07月 音
●2019年06月 UMAMI