2024年07月 振出しに戻る???

 みなさま、ご無沙汰をしております。このホームページを始めて、毎月メッセージを書いて20年近くなるでしょうか? 初めて、2回のおやすみをいただきました。

 今年5月末日をもって、30年間勤めましたソニー生命保険の営業の仕事にピリオドを打つことにしました。
多くのお客様、友人たちに支えられ、助けられて、無事に勤められたことは、人生の大きな財産であり、生涯忘れない思い出ばかりです。ここの場をお借りして、心から御礼申し上げます。ありがとうございました!

 6月に入り、知人の関係で、全く世界の違う仕事を始めています。一つは、車の販売会社のバレー・サービス(来店されるお客様のファーストコンタクト)、もう一つは、知的障碍者グループホームの管理人。どちらも未体験の分野であり、若い経験者(大学生アルバイトも)に叱咤激励?をいただきながら仕事を覚えています。

 この新たな仕事をするにあたり、履歴書と職務経歴書の提出がありました。30年間どっぷり一つの仕事に浸かり世間知らずとなっていた自分に気づきます。まず「職務経歴書」という言葉を初めて聞きました。ネットで調べ、自分が携わってきた過去の実績、体験などをPRすることを知り、書き始めました。ここで大きな衝撃に遭遇。大学を出て、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社。時計商品企画&海外営業を10年。本社の広報部でマスコミ対応3年。その後、ソニー生命保険で、生命保険営業30年が職務の経歴になります。職務経歴書を書き始めて、時計の仕事では、10年間毎月海外を飛び回り商談。20か国近くを訪問。うち、1990-1991年は、フランクフルト(ドイツ)に駐在事務所を設立し、所長として滞在。その後の広報部としてのマスコミ対応を通じて、企業としての情報発信のやりかた、マスコミとの対峙の仕方などを経験。多くの経験を細かに記載できた。さて、一番長い30年間の生命保険営業については、特段、多くを記述することがでてこない。ご契約いただいた顧客数、死亡保険金&入院給付金支払件数などの実績はある。多くは、お客様ごとのニーズに合わせたコンサルティングを行い商品設計、ご契約していただく。保険事故(死亡、入院など)の際は、速やかに給付金・保険金お支払のお手続きをする。これらを迅速に、滞ることなく処理する繰り返しだった。数多くをこなしてきたわけではあるが、「職務経歴書」に文字に表すことができなかった。私の文章能力の問題が大きいのかもしれないが、書いても数行のみ。ここで、この30年間はなんであったのか??という大きな疑問がわいてきた。それに輪をかけるように、新しい環境では、接客の仕方など、アルバイトの大学生からも指摘され、単なる65歳の物の理解の悪い老人扱いになってしまっているのではないか?という不安がぬぐえない。

  この30年の振り返りに加え、この65年の人生の振り返りを改めて考え直す機会になった。簡単には、「今まで何をしてきたのだろうか??」、「世の中、人の役に立ってきたのだろうか?」などの自問である。過去を振り返っても戻ってくるわけではないので、この先をどのように生きていくか?を立ち止まって考えるタイミングなのであろう。理想的には、引退を考える前から事前準備をして、先手を打って、ソフトランディングするのが良しとされるのかもしれない。この一か月の、今まで経験したことのない環境での仕事は、戸惑いながらも、世間知らずの自分とそれに触れあう貴重な経験を積ませてもらっていることに感謝している。

 65歳という年齢。介護保険証が届いた。ニュースでは「65歳以上の高齢者」という基準で世間的に分類されている。同級生では、完全にリタイヤして、自宅で趣味などに没頭して、悠々自適の生活を送る者もいる。一方で、現役でバリバリに働いている者も。私自身は、まだまだ多くの人と出会い、ふれあい、コミュニケーションをとり、人々の役に立つことをやりたい気持ちが強く残っている。元いたセイコーエプソンは、70歳まで雇用延長ができることになったと聞いた。まだまだ健康に気を付けて、活躍できる力・場面が残っていると信じている。(といっている矢先に、背中に激痛があり、二泊三日の入院をした。入院は、盲腸に続いて、人生二回目。精密検査の結果、内臓に異常は見つからず、原因不明まま。)65年の人生、前職の30年の経験が、何に活かされるのか?また新たに学んばなければいけないのか?とにかく、何があっても前を向いて、前に向かって生きていきたいと思います。みなさん、引き続き、ご支援ご鞭撻のほどお願いいたします。

令和6年7月吉日
悟空の里主人 金森 悟