2024年04月 自然物と神様
寒暖の差を繰り返しながら、春を飛び越えて、夏日があり、爽やかな日が多くなってきた。
今年の桜は、開花が遅れ、学校の入学式に桜をめでることができるのは、どれくらいぶりなのか?とニュースでも話題になっていた。昨年、初めて訪れ感動した千代田区の千鳥ヶ淵の桜並木のライトアップ。今年は、開花がかなり遅れたが、昨年同様にステキであった。また、初めて、上野公園の桜も見に出かけた。桜より大勢の外国人に目が行ってしまい、あまり楽しめなかった。外国人も満開の桜を背景に記念写真を撮っていた。フッと日本人と同じ感覚で、楽しみ、見ているのであろうか?と思った。
「さくら」の語源を調べてみると、「さ」は、稲作と関連しているとされ、農耕の神様を意味し、「くら」は、神様の居場所を意味する「御座(みくら)」であるという。この言葉が合わさり「さくら」になった。梅は中国から来たといわれるが、桜は、古くから日本に自生していたもの。お花見は、貴族が庭の桜の下で歌を詠むことから始まり、徐々に武士の間に広まり、桜の木の下で宴会をするスタイルは、豊臣秀吉の時代から始まったといわれる。しかし、農民の間で始まった花見は意味が違い、春の訪れとともに冬の神様を山に送り、春の神様を迎える行事として行われ、桜の咲き具合を見て、その年の豊作を占ったといわれている。
日本は、山の神、海の神、水の神、火の神など、自然物に神が宿るという考えかたを持つ。これは、弥生時代までさかのぼるといわれている。(縄文時代はどうであったのだろうか?) 以前に触れた「虫の音は外国人には雑音にしか聞こえない。」例や、日本人、日本語独特の自然と調和しながら過ごす生活感から、「かぜがそよそよ」などの擬態語&擬音語の表現が多くあるのは、他言語でも多くないらしい。
今年は辰年である。神社へでかけると龍神が、手水の水口に見かることがある。御朱印などにも数多く登場してくる。龍は、想像上の動物で実在はしない。中国では、神話・伝承の世界に登場し、強力で縁起の良い力の象徴になっている。また、歴史上では、龍は、皇帝の権力と強さの象徴とされてきた。足に5つの爪がある龍は、皇帝の象徴。色も時代により、黄色、金、赤であったという。(一方で皇后は「鳳凰」と同定されている。) 現在でも受け継がれているのは、龍は、水や天候を支配していることである。
西欧では「龍」は、どのようにとらえられているのだろうか?元々、龍は蛇が神格化したものといわれ、蛇は土や森の中に棲み、金銀宝石な財産を守っているというイメージを持っていたらしい。その後、この土着信仰は、キリスト教により否定され、「蛇」は、悪魔と結び付けられてしまう。従って、龍も悪魔として位置づけられ、キリスト教を象徴する騎士に倒されるというモチーフに登場する。
さて日本の龍はどうなのか?龍の姿は、弥生時代から古墳時代の遺跡から出土する鏡にも描かれており、3世紀頃には伝わってきたといわれている。農耕が始まった時期でもあり、水神である龍は、水源の確保と農業の繁栄、豊穣や豊漁を願うご神体として祀られている。古事記に登場する八岐大蛇を退治の際に出てきた剣、これは龍の化身として、天皇の権威の象徴と評されている。また海、川、山、炎、風、雲など自然の姿や力を龍に擬え信仰の対象としてきたともいわれている。
自然物を神様として信仰してきた日本、現代の生活では、自然物との触れ合いも薄くなっている。神社に立ち寄った際に、龍の姿を見かけることができる。満開の桜をめでるのは、日本人の持つDNAが、自然、神との触れ合いに引き寄せさせる貴重な機会なのかもしれませんね。
令和6年4月吉日
悟空の里主人 金森 悟