2023年02月 長崎へ
5年ぶりに仕事もかねて、一泊で長崎へ出かけた。東京にいらした先輩が長崎に転居され、10年前から数年に一度のペースで、長崎を訪れるようになった。今までは、同じ一泊であったが、空港からはバス移動。市内観光をして、先輩のご自宅にお伺いし、ごちそうになったりしていた。今回は、少し自分で足を延ばしてみようと、レンタカーを借りた。朝一の飛行機で長崎入りし、お昼に仕事で先輩ご夫妻にお目にかかり、その後は、フリータイム。まずは、眼鏡橋のたもとにあるカステラ屋「匠寛堂」へ。10年前、地元のタクシー運転手のお勧めを聞いてお気に入りに。眼鏡橋がかかる中島川沿いを歩き、中華街へ移動。ちょうど開催中の「ランタン祭り」を見学。おなかがすいたので、チャンポンをいただき、出島跡を見学してホテルへ。長崎駅前は、新幹線開通により、再開発中で、今回は、新しいホテル(ヒルトンホテル)に宿泊。その日の晩の食事は、先輩とご一緒させていただいた。
長崎を初めて訪れたのは、高校時代の卒業旅行。友人が「さだまさし」が好きで長崎を目指した。往路は、東海道線、山陽線を乗り継ぎ、国東半島の「宇佐駅」に降り立った。「USA」と表示されており、「アメリカについた!!」と冗談を。別府温泉のお湯に浸かり、タクシーを借り切り、阿蘇を横断。草千里を越え、熊本の水前寺公園。熊本城。天草フェリーに乗り換え、長崎入り。当時、YMCAに泊り、「さだまさし」の歌に登場する場所を中心に市内観光。さらに博多へ移動して、東京に戻るという珍道中であった。
今回の二日目は、長崎市内から、佐世保方向へ。知人の奥様のご実家である酒蔵を訪問。酒蔵は、300年以上続き、創業当時から継承してきた技法で酒造りを続けておられるという。歴史が刻まれた建造物は、とても趣のある酒蔵であった。途中、車の中から見えた佐世保港には、自衛隊の護衛艦が見えた。
佐世保からは、長崎方向へ戻り、島原半島へ。途中、雲仙市にある「岩戸神社」に立ち寄った。樹齢300年を超える檜や杉の巨木に囲まれ、縄文人が住んでいたといわれる洞窟がご神体といわれる神社。手を合わせた後は、南島原市にある先輩の奥様のご実家経営のお店へ。有明海に向かって坂を下り、右手に雲仙普賢岳、左手に有明海が広がり、美しい景色を満喫しながら車を走らせた。名物の鶏のから揚げ定食をいただき、鶏のから揚げのお土産をいただき、帰路長崎空港へ向かう。島原半島横断ルートを選択。雲仙普賢岳を近くに見ながら、途中、雲仙温泉を経由する。あまり時間もなかったが、せっかくなので日帰り温泉に浸かった。硫黄の匂いが漂い、強酸性のお湯に浸かり、体も温まり、空港へ。総走行距離約300キロであった。予約した飛行機には、道路事情を考えると、時間的にはぎりぎりであった。(頭の中では、間に合わなければ、雲仙温泉に泊まり、翌朝の飛行機に変えてもいいよ。という心の囁きが聞こえたが)
長崎の町は、鎖国時代に出島が設置され、寛永13年/1636年から安政6年/1859年までの218年間、西欧文化の窓口として日本の近代化に大きな役割を果たしてきた。1940年には、三菱造船所にて「戦艦武蔵」進水。1945年に原爆投下。その後復興し。現在どうなっているのか?と聞くと、第三次産業が80%突出。造船業は低迷。人口は、50万人から40万人台に減少傾向。過去遺産を中心に観光に依存するところも多いと。COVID-19禍前は、中国からの大型客船が、長崎港に入り、3000人規模の観光客が、一度に押し寄せるような光景を見たこともある。COVID-19禍が明け、昨年9月開通の新幹線に期待は大きい。この先、日本の近代化の窓口の歴史を大切に、これからの発展を期待したい。
令和5年2月吉日
悟空の里主人 金森 悟