2024年01月 恩送り

 「恩送り」。最近この言葉を知った。江戸時代には、「恩返し」と同じ意味で使われていたらしい。

 この言葉を調べたきっかけは、大先輩への恩返しを考えたことに始まる。約40年前、就職で、長野県諏訪市に居を移すことになる。初めての地で頼りになる人もいないであろうからと、当時の父の上司の学生時代の同級生で、市内で老舗旅館経営をしている方をご紹介いただいた。私の大学の同窓でもある大先輩は、地元の名士のひとりで、旅館経営をしながら、諏訪湖の環境問題、街づくりなどの社会貢献活動の中心にいらした。この縁により、私も地元で、様々なお手伝い、体験をさせていただいた。いつもお気遣いいただき、お世話になるばかり。若造としては、そのお礼に、何もお返しができないでいた。ある日、何かお返しをしたいのだが、何か?と尋ねてみた。返答は、「お返しはいらない。その代わり、君の後輩など、若い人たちに、同じようにしてあげたらどうか?」であった。その後、どれだけのことができたであろうか? 私も年を重ね、後輩、若い人たちとの付き合いを通して、新しい体験をする機会を設け、私の人脈の紹介などをした。私と同様に、「お礼をしたい。」と言われる。その際は、大先輩から教わったことをそのまま伝えてきた。恩の連鎖、拡散とでもいうのであろうか?最近読んだ本に同じようなことが語られ、「恩送り」と使っていることを知る。まさしくその言葉だ!!とストンと腑に落ちた。

 ところが、改めて調べてみると。現代では定着しているが、そもそもは、「もらった恩を別の人に送る」という意味はなく、江戸時代から「恩返し」と同様に使われていた。「恩送り」は、16世紀に生まれた言葉で、「恩に報いる」、「恩に報ずる」という使われ方が一般的であった。これは、恩は、返すものでも送るものでもなく、報いるもの。恩に応える、大切にするという意味が含まれていた。それが、時を経て、恩は送るものから返すものに変化した。時代によって、使われ方、意味などが変化するのは面白いところだ。

 日本語といえば、もうひとつ。「虫の音」は、日本人とポリネシア人にしか聞こえない。
秋の虫、コオロギ、鈴虫の音は、秋の風物詩であり、心を癒してくれる。ところが、西洋人には、雑音にしか聞こえないと知り、ビックリ。日本人は、「虫の音」を左脳(言語脳)で受け止め、西洋人は、右脳(音楽脳)で受け止めているという。小川がさらさら流れる、雨がしとしと降る。風はビュービューなど自然音をすべて声のように表現してきた。自然音を言語脳で受け止める日本人の生理的な特徴、擬声語、擬音語が高度に発達した言語学的特徴、自然にすべて神が宿っている日本的自然観。これは、日本語が母音主体の言語で、多言語は子音中心。細かには、日本人とポリネシア人は、母音も子音も左脳で処理し、西洋人は、母音を右脳で受け止めてから、子音を左脳で処理する。さらに、これは人種の違いではなく、日本語を母国語として育つと日本型になってしまうらしい。

 我々にとって、日本語は、生まれた時からの言語であり、日常のコミュニケーションで使っている。日頃、日本語そのものを見つめてみる機会はないが、このような話を聞くと、もっと日本語の背景、変遷などに触れてみたいし、同時に日本語を大切に、時代の流れで失われていく表現や単語などを振り返り、語り継いでいきたいと感じた。

 新しい年、母国語、言葉ひとつひとつを大切にしながら過ごしていきましょう。本年も皆様のご多幸、ご健勝を祈念します。よろしくお願いいたします。

 令和6年1月吉日
悟空の里主人 金森 悟