2023年06月 17年&21万キロ

 6月が自家用車の車検の月であった。今年も例年通り、車屋さんに持ち込み、基本的な費用の案内と、点検後の追加の有無の連絡をいただくことになっていた。一本の電話があり、「エンジン始め、あちこちでオイル漏れが見つかり、車検を通すためには、当初予算の10倍以上かかります。買い替えなどのご予定はありますか?」と。経済的にそれを受け入れる余裕はなく、車検をお断りすることにした。何故だか、突然のことであったが、すんなりと受け入れ、気持ちの整理がついた。

 この車は、2006年6月からリース契約でスタート。前の車のエアサスに問題があり、買い替え必死に。テニス仲間の先輩の会社に相談。トヨタのフラッグシップでもあった「セルシオ」という車が生産中止となり、生産在庫をリーズナブルな金額で手配できると。具合悪くなった車が、中古で手に入れた旧型のセルシオであった。新車は当初抵抗もあったが、お願いすることにした。それから丸17年間、仕事に、プライベートなどに使い、走行距離は、21万キロを超えた。エンジン調子も良く、30万キロはいけるのでは?と思っていた。今年65歳になる私は、夜の長距離、雨の夜の運転は、目が疲れ、おっくうになり遠出も少なくなってきた。年間1万キロ強を走ってきたが、それもだんだん少なくなり、この先、年間5,000~7,000キロほど乗れば、あと10年は乗れると。完全に乗りつぶし、人生最後の車かな?とまで考えていた。

 車の乗り始めたのは、1997年、大学1年で運転免許を取得してから。父の車を借りて、通学、部活の合宿へ出かけた。それから46年間、車のない生活を経験したことはない。就職して長野県諏訪市&松本市などに住み、通勤を中心として、毎日が車移動であった。週末は、テニスにスキー。霧ヶ峰、八ヶ岳、軽井沢などへ仲間とドライブ。結婚して、家族で出かけるときは、人数が増えれば、費用も掛かるので、ほとんど車。遠距離ドライブは、両親の故郷である富山(400キロ)、テニスの試合で大阪(500キロ)、息子が赴任した新潟(300キロ)であったあろうか?

 自分自身、車の運転が好きで、近くへ出かけるときも車ででかけた。自分が乗った車種は、初めての車は、父所有の「いすず ベレット」、「日産スタンザ」、就職して初めての私自身の車「マツダ ファミリア」(これは2世代)、その後は、「トヨタ マークⅡ」(これも2世代)、そして「トヨタ セルシオ」(中古)、そして今回の「トヨタ セルシオ」(最終モデル)であった。家族だけではなく、仕事柄、お客様をお乗せして移動することも多かった。黒で社用車のように見えたので、いろいろな場面で重宝することもあった。ある時は、運転手に間違えられて、ホテル宴会場の出入り口真正面に誘導されたこともあった。その他に乗ったことのある車は、友人からしばらく預かったVWのシロッコ、車検の代車にVOLVO、亡くなった友人の奥様から譲り受けたBMW3シリーズ、ドイツ赴任中のMercedes EクラスとVW。今回の車が最長で、走行距離も最長である。それだけに忘れられない思い出が詰まっている。点検に出して、翌日戻ってくるはず車が、突然お別れになるなんで考えもしなかった。車内に残した音楽CD、孫を乗せる際のチャイルドシートなどの私物を引き取りに最後の対面をしに出かけた。この車の行き先は、車検を通さずに「部品取り」用に、解体され活用されるとのこと。まあ活用いただけるのであれば、嬉しいか??

 自分の人生を刻んで、ともに時間を過ごしたパートナーであった車に心から感謝したい。「家族、友人を安全に守ってくれてありがとうございました!!」

令和5年6月吉日
悟空の里主人 金森 悟