2022年02月 お花を贈ること
みなさんは、仕事上またはプライベートでお花を贈る機会をどれほどお持ちであろうか?
私の場合、仕事&プライベートを含め、年末年始のご挨拶に始まり、誕生日、ご出産、ご結婚などのお祝い、ご不幸など、お花をお送りすることにしている。仕事上の慶弔時では、お客様のお誕生日(古希、喜寿、傘寿、米寿など)、旅立たれたお客様のご遺族へ枕花、供花をお送りする。手配は、長年お付き合いがある麹町に本店を持つお花屋さん。目的毎に、お花の選択、送り方など相談させていただく。届け先が近場の場合には、直接、私が持参するか届けていただく。遠方の場合は、全国展開の花キューピットで手配してもらう。
私のプライベートはどうであろうか? 個人的にお花をいただくことはほとんどない。ひとつ、毎年2月14日には、約28年お付き合いいただいている女性経営者の方から「一凛の赤いバラ」がメッセージカード付きで届く。きっかけは、友人の紹介に始まる。麻布十番でオーダーメイド・ウェディングドレス等の会社を経営されている。長年のお付き合いの中、私の娘のウェディングドレス、私自身のタキシードを作っていただいた。近くまで出かけた際に、フラッとお店に立ち寄り、情報交換と称して年に4-5回はお目にかかる。自宅内は、季節に応じて、ポインセチア、シクラメン、ガジュマル、南天などを飾るように心がけている。私自身の生活を振り返ると、生まれてから就職まで、ずっと一軒家暮らしであった。農家出身の父は、土いじりが好きで、週末は時間があれば庭の手入れをしていた。母は、プランターの土の入れ替えを手伝っていた様子を思い出す。小学校では園芸部にいたが、庭いじりの手伝いはすることなく、庭に何があるのかも全く気にかけていなかった。しかし、庭には、一年を通して、いつも花が咲いていた記憶がある。両親が富山県出身であり、送られてきた「砺波のチューリップ」の球根を埋め、春にはきれいに咲いていたことをよく覚えている。たまに、トマト、キュウリ、ナスが植えられ、毎朝、もいで食卓に運ぶのが私の担当でもあった。両親が旅立った後は、自分で、庭の手入れをすることになったわけであるが、気づくと、庭の一角に「曼殊沙華」が咲き、いつのまにかに消え。手入れしなくても一年後には、再びそこに咲いていた。父が、毎年春に、「こんな庭にも毎年花を咲かせてくれる。」と大喜びしていたのは、家族で新潟の六日町へ山菜取りに出かけた折に、持ちかえった「かたくり」。こちらも手入れするわけではないが、春先に花を咲かせた。その時期になっても、なかなか出てこないと、「今年は、ダメか・・・。」と残念そうな言葉を漏らしていた。ある時、庭のいたるところに白い花が咲いたことがある。きれいだな~と満足げにしていたら「ドクダミ」と知ることとなり、繁殖力の強さを抑え込むために早めに刈り取ったこともあった。
オフィスの中では、室内温度湿度を一定に保っている。常緑の観葉植物は置かれていることが多いが、季節の変化を感じさせてくれる花を置くことは少ない。外出した際に、道端や公園などに咲く花、街角のお店に飾られている植木鉢やプランターなどに植えられた花にフッと季節を感じさせてもらうことがある。
皇居周辺をお散歩する際、「千鳥ヶ淵」、「北の丸公園」、「皇居東御苑」には、足元に咲いている花を見つけると、立ち止まり、携帯のカメラに収める。1月後半頃から、少しずつ芽吹いてきた草木が増えてきたようだ。そこには、お濠から鴨などが上ってきて、柔らかい芽をついばんでいる。お花に限らず、食物も一年を通して何でも手に入り、「旬」という言葉を感じる機会が少なくなってきている。花言葉には、あまり見識がないが、これから春に向けて咲く花の変化を楽しみ、見守っていきたいものである。
令和4年2月吉日
悟空の里主人 金森 悟