2021年11月 流刑地

 今では、聞くことのない言葉の一つではないだろうか?

 調べてみると、平安時代、嵯峨天皇治世時代に死刑が停止されたといわれ、最高刑は「流罪」が主になった。「律令制」下、日本では、畿内からの距離により、「近流(こんる/ごんる):300里:越前、安芸など」、「中流(ちゅうる):560里:信濃、伊予など」、「遠流(おんる):1500里:伊豆、隠岐など」と罪状や身分、流刑地の状況などにより距離と配流は変更されていた。保元の乱(1156年)から正中の変(1324年)に至る朝廷と武士が関連する争乱で敗れた側の天皇と上皇と一部の公家や武士が佐渡、隠岐、伊豆大島などに配流となったと。

 なぜこのような話題に興味をもったかというと、たまたま東京の知り合いの宮司の神社に「隠岐神社」(1939年創建)のお嬢様が勉強にいらしており、お話を聞く機会があった。「隠岐神社」は、後鳥羽上皇(第82代天皇:1183年~1198年)が、41歳で遷幸(1221年)され、60歳で崩御の後、祀られている神社で、境内には、御火葬塚や行在所跡がある。今年(2021年)は「後鳥羽上皇遷幸800年」にあたる年である等、歴史が苦手な私でも、昔は、天皇も流刑されたという驚きで、隠岐の島に興味がわいた。

 隠岐の島には、鎌倉時代に権力闘争に敗れた後鳥羽上皇、後醍醐天皇(第96代天皇:1318年~1339年)などが流された。これに影響されて、芸能・文化の伝承もあったといわれている。地元で有名なのは、「角突き」。後鳥羽上皇が御配流となり子牛が角を突き合わせている姿を見て喜ばれたことから始まったと。他地域(新潟県・小千谷、山古志村)の「角突き」と違うことは、牛に綱をつけたまま取り組みが行われている。これは、「後鳥羽上皇にお怪我があってはいけない。」と綱をつけたと語り継がれているとか。後鳥羽上皇は、「ごとばんさん」と呼ばれ、島では愛され、19年間をお過ごしになったという。(ちなみに、後醍醐天皇は、約1年で脱出。)

 隠岐の島は、古事記(712年)の冒頭、「国生み神話」の中に登場する。
伊耶那岐神(イザナキノカミ)と伊耶那美神(イザナミノカミ)の二柱が、淤能碁呂島(オノコロジマ)をつくり、そこで8つの島をお生みになった。それから順に、①淡道之穂之狭別島(アワジノホノサワケノシマ:淡路島)、②伊予之二名島(イオノフタナシマ:四国)、③隠伎之三子島(オキノミツゴノシマ:隠岐島)、④筑紫島(九州)、⑤伊岐島(壱岐島)、⑥津島(対馬)、⑦佐渡島(佐渡島)、⑧大倭豊秋津島(オオヤマトトヨアキヅシマ:本州)をお生みになられ、この八つの島を大八島の国という。隠岐の島は、三番目に生まれた島ということになる。

 日本最古の全国神社リストの「延喜式神名帳(2861社)」(927年)のうち、強い力を持つ神を祀る神社を指す「名神大」の格が与えられた神社(全国226社)が島根県には6社ある。本土側の出雲大社、熊野大社以外は、隠岐の島にある。この4社は、「島前」に、①宇受賀命神社(ウヅカミコトジンジャ:海士町)、②由良比女神社(ユラヒメジンジャ:隠岐国一宮:西ノ島)、「島後」に、③水若酢神社(ミズワカスジンジャ)、④伊勢命神社(イセミコトジンジャ)が鎮座する。日本誕生の歴史の中でも非常に重要な位置づけであったのは明らかであるといわれている。

 最近、日本国の始まり、神社仏閣に興味がわいてきた。皆さんも調べてみてはいかがでしょうか?

令和3年11月吉日
悟空の里主人 金森 悟